fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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強者より強い弱者 /映画「ひとよ」/問題歌詞

◯強者より強い弱者

考えてみれば、おかしなことで、強者だから弱者の気持ちがわからない

のように言われ、発言も抑え込まれるわけです。

 

いろんな考え方はあってもいいし、ヘイトでもない限り、どの考え方もそれなりに認められてよいと思うのですが、それが一色に染まり、そうでない考え方を出すこと自体を

否定されるのは、おかしなことです。少なくとも、出したものを論議して否定する手順を踏むことです。

 

先に、イスラエルは、国を追われた悲劇をずっと味わってきたのに、パレスチナ人の立場がわからないわけがないと述べましたが、どこでも似たようなことが起きているのではないか、と思うのです。



◯映画『ひとよ』

立場や考え方はいろいろあるし、変わることもあるという観点で、この映画を見ました。TVで、ですが。

映画『ひとよ』(2019/11作品)

<15年前に起きた事件、妻が夫を殺すことで、その後の人生を大きく狂わされた一家4人が再会する。原作は、劇作家である桑原裕子が劇団KAKUTA上演(2011年初演)の同名タイトルの舞台作品。監督は白石和彌、主演は佐藤健。>



ジェンダーで問題の歌曲

続きです。

「女呼んでもんで抱いていい気持ち〜」

(「女呼んでブギ」サザンオールスターズ 1978年)

 

「女なんてどうせどれでも同じさ 女なんてどうせくだらない奴等さ」

(「国王ワノン一世の歌 」RCサクセション 1972年)

作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一(忌野清志郎の別名)

 

過去の時代のことを言い出したら、

オジサンも年寄りもスポーツ選手も芸能人も会社員も

ほとんど、皆、ひっかかるでしょうね。

 

 

◯ヤンキーとオタクヤンキー

<2015年『なぜ、とんねるずダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?

で、とんねるずダウンタウンを対比、

ラリー遠田氏は「ヤンキー的/オタク的」という言葉で

体育会系のノリで芸能界をのし上がる石橋貴明は「ヤンキー的」であり、笑いという知的ゲームで自らが最強であることを示そうとする松本人志は「オタク的」である、と看破しました。>

でも、ダウンタウンは、成り上がって、ヤンキー半グレ的権威となったわけです。

 

松本人志氏の名誉毀損裁判、人権、言論・表現の自由も守るべく、個人のプライバシーもあり、いろんな要素を含んでいて、長引きそうです。

<文芸春秋週刊文春編集長に5億5千万円の損害賠償などを求めた訴訟で、東京地裁での第1回口頭弁論が、3月28日に開かれる>

 

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