昨日、都内、初雪で積もりました。プールは空いているはずと思って、行ったら、一人だけでした。そりゃそうなんですね。
雪かきしたけど、本日、晴天春並みの陽気で、その爪痕なく、、。
タイパの悪い1日、体力づくりか疲労溜めただけか?
◯レジリエンス#の弱化
今の若い人たちは、わからないものを見る、新しいものを見るのに、億劫なようです。
話についていけないとかわからないときに、自分でなく、相手や作品が悪い、あるいは、合わないと思うようです。
何をするにも、精神力、体力が要ります。それが足らない、
といっても、何と比較するかとなります。
かつての若者たちに比べるとずいぶんと保守的にみえます。
団塊世代など、競争社会で揉まれてきた人たちとは、ずいぶんと差があります。人口が多いと、よくもわるくも、革新的になるのでしょう。
◯知識教養や専門家の権威失墜
昭和までの教養至上主義の時代も、大半の人は、内容など全然理解できなくても、読んだ、知ったというだけで、マウントを取りあっていたようなものでした。
それでも、目一杯、見栄を張り、背伸びをしていました。わけのわからないものだからこそ、挑み、無理無駄をして、ずいぶんとタイパ、コスパの悪いことをやっていたわけです。
今、一通り何でも知っておこうという風潮があるのは、おかしなことではありません。
情報量が半端でない時代で、しかも世界中のことが簡単に調べられるのですから、限度がありません。
専門家が言ったこともググってチェックできるし、その間違えさえ素人が指摘できるのです。
皆が専門家になれる時代というよりは、専門家が素人になってしまう時代というほうが、現実として理解しやすいように、私は思うようになりました。
◯ネタと話題でまわす
まわりの知っていることを知らないことを恐れたところで意味がありません。
で、情報過多に対応しようとすると、映画などが、流行の店や服、食べ物のように安易なファッションになるのは、当然のことです
よくわかっているものを安心して何度も見たい、そのほうがよいと思う人も多いそうです。
ということでは、映画や舞台といったストーリーものもアニメも、好きな歌のようになっているのかもしれません。ある意味でのマニア化でもありましょう。
でも、これがレジリエンス不足、コミュニケーション不全を起こしているのではないでしょうか。
心理学におけるレジリエンス(resilience)とは、社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力と定義される。自己に不利な状況、あるいはストレスとは、家族、人間関係、健康問題、職場や金銭的な心配事、その他より起こり得る。「脆弱性(vulnerability)」の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」「再起力」などとも訳されるが、訳語を用いずそのままレジリエンス、またはレジリアンスと表記して用いることが多い。(Wikipedia)