◯安倍晋三なき世界へ
安倍晋三氏の銃撃後の、選挙戦、「民主主義を守れ」という掛け声には、どうも、、。テロなどという人もいましたが、この単独犯の動機とは、ずれているわけで。
安倍氏は、周りを巻き込んで民主主義を蔑ろにした、、張本人で、、。マスコミも官僚も政権に従属してしまった、公文書を偽造、隠蔽どころか、果ては、記録を残さないなど、文明以前に戻したわけで、、。亡くなったからこそ、この10年、検証し、健全な民主主義に戻す、いや、日本においては、それを新たに打ち立てていくことを期するのみです。
ただ、これから国際的な関わりを深くせざるを得ない日本にとっては、安倍氏の不在は、大きな痛手となります。ロシアや中国との太いパイプでしたから。
アメリカしか見ていない岸田政権への後ろ盾としての期待もありました。そこは取り返しがつきません。アメリカの覇権主義に巻き込まれていくことは、日本を戦争に近づける予感があります。
さして関係ありませんが、以前に見た映画を思い出しました。
◯映画「本気のしるし」
主人公の辻は、仕事を無難にこなしつつ、社内の2人のOLとグダグダした関係をもっている、ある晩、葉山浮世のレンタカーが、踏み切りで立ち往生するのを助ける。警察に浮世は、「運転していたのは辻だ」と最初、答える、とんでもない女。
その後、街で再会、浮世が借金を抱えていることを知る。辻は、放っておけず、深みにはまっていく、といった
グダグダの、クズ男と、イライラ、させるばかりの女の物語。
「すいません私が悪いのです」を繰り返しいう浮世、離れられない辻。
「いい加減に気づけよ」と誰もが思うでしょう。
だらしないのほどが過ぎる、の繰り返し。
で、気づいたら、長編4時間。
結局、グダグダよりは、イライラを求める人間の業を
いい加減、見るのをやめろよ、という声を聞きつつ、
最後まで見てしまう愚かさを自ら体験させられることになるのです。
平凡、あるいは地獄?
〇B級のとっつきやすさと同調化
この映画の評価はともかく、
B級作品は、誰もが同じように感じ、同じように受けとめたれるから、大体、何を言ってみてもよいとなるわけです。解釈や感想に迷わうこともなく、間違いもない、
それゆえ共感できるのです。いえ、それが共感だと思ってしまうのです。
一流作品は、多様な解釈、複雑な論議を可能とするもので、こうはなりません。
◯SNSの強いるもの
SNSの発達は、他の人から外れた見方をするのを無意識のうちに避けるようになってきているように思います。誰もが、空気を読めないと思われることを避けたく思うからです。そして、ネットを検索して空気を読むから、さらに見えなくなるのです。
◯過ぎし教養の時代
これは、団塊の世代が、教養を争って論争したようなことに比べてもよくない傾向です。教養であれば「相手をやり込める」という幼稚な動機でも、負けじと勉強して知識を得ることができます。知識の量は、思想や知性とは、違うし、大した意味はなさそうですが、最低限のベースになります。どこかで有効に使えたり尊敬されたりすることもあるでしょう。
何よりも相手と異なることを無理して根拠づけて、ということで、ディベートのように、論理力、思考力、説得力、いえ、屁理屈力がつきます。発想力や独創力、想像力や創造力なることもあります。知識なくして知性も理性も磨かれません。
◯同化力と無私
まわりから外れないようにするには、まわりに合わせることです。自分自身の考えを深めるのではなく、マジョリティーに同化することです。
他人と同じであるということが目標となるのです。
ということは、自分なぞは、いなくてもいいということになるのですよ。
あえて、自らを貶めてしまうのです。
◯ランキング社会、日本
日本では、何人が同じ意見なのかというランキングが、いつも人気です。参考にするのはいいのですが、そのまま、それを信じて、それに合わせる考え方になっていきかねないのです。ネットの弊害としても、もっとも指摘されることです。
♯『本気のしるし』
星里もちる作のマンガ。『ビッグコミックスペリオール』にて、2000年3月から2002年11月まで連載。2019年、名古屋テレビ放送制作、森崎ウィンの主演でテレビドラマ化。
再編集した『本気のしるし〈劇場版〉』は、第73回カンヌ国際映画祭「Official Selection 2020」に選出。(参考Wikipedia)