fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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国家と国語の成立

◯日本人気と日本語ブーム

コロナ禍で旅行に行けず、ググりまくった人は、多かったのでしょう。

観光地としての日本の人気は高まる一方です。安くて、うまくて、きれいで、安全、インスタ映えスポットも溢れています。狭くて交通手段も整っています。

いつ来るかわからない天災を除いたら、私も世界中で、一番に、ウェルカム、お勧めできる観光地と思います。

 

マンガやアニメ映画の人気もあり、日本語もブームとなり、日本語を流暢に話したり、日本人のように歌えたりする外国人も増えています。少なくても、私たち日本人の外国語の習得能力や会話能力よりも、はるかに優秀です。聴くことと話すことにおいてのアドバンテージは、今なお彼らの方にあります。

 

◯国語の誕生

なぜ私たちは、学校教育で、日本語といわないで、国語として学んできたのでしょう。外国語に対して、国語といったのでしょうか。

生まれてから最初に覚えた言葉は、母国語と言いません。母語といいます。

母国語とは、自分の国、国籍をおいた国の言語のことです。

ほとんどの日本人には、どれもが日本語ですので誤用しています。日本は、世界では、特殊な例になるのです。

もとい、日本語と国語は、違うのです。

日本語が、日本人に日本で使われてきた言葉とすると、

国語は、国が定めて、つくり、整えていった言葉です。

 

◯言語の統一

明治時代になって、日本では、産業の発展や軍事のために、共通して通じる言葉が必要でした。

薩長中心では、方言だらけ、通じません。それでは、国家の統一は叶いません。工場も軍隊もスムーズに動かないからです。

つまり、話し言葉や書き言葉として、全国で通じる言葉が必要でした。そこで国民国家を成り立たせるために、国語という言語をつくり普及したのです。

つまり、国語は、近代日本の政治的な必要のもとに、つくられた言葉です。

 

◯書き言葉と話し言葉

まず、書き言葉については、学校教育で標準化されました。それには、教科書、新聞、書籍といった活字メディアが使われました。

一方、話し言葉は、簡単ではありませんでした。これはマスメディアでの音声技術、1925年のラジオ放送の開始を待つことになります。

 

◯標準語♯

国語は、標準語です。それは、東京の言葉、東京語を元につくられました。

そのモデルとなったのは、明治30年代、東京の山手の言葉でした。

東京弁として江戸の下町弁などもあったのですが、それは選ばれなかったのです。

 

◯共通語♯

戦後は、標準語に替わり、共通語という言葉が、広まっていきました。

標準語という用語がとっつきにくかったせいか、柔らかくて穏やかな用語として、共通語という用語を使うことにしたということです。

 

NHKのアナウンサーの言葉

NHKには、話し言葉として、「正しい日本語を守っていく役割」があり、公共性と品位が求められるという考えがあります。

私も、日本語の音声について、迷ったときには、NHKのアナウンサーの話し方や「NHK日本語発音アクセント辞典」などを参考にします。これは、2016年に18年ぶりの大改訂で、新辞典が出ました。

 

日本語教育と方言

やがて、それが、東京の言葉となって普及していくにつれ、地方で使われていた日本語を、田舎の言葉、方言として蔑んでいくことになりました。

沖縄では、方言札で現地の言葉を禁じたほどです。

戦時下、アジアの占領地では、朝鮮や台湾と同じように、日本語教育が行われました。統治上の必要もあり、すべてが日本国民にするための皇民化教育とは言えなかったようですが。

日本語の歌も使われました。

言語統制は、言論統制に結びつくものでもあるのです。

 

方言蔑視の背景には、地方からの集団就職で、都市化が急激に進んでいったことがあります。

首都圏人口は、1950年の1500万人から、1980年には、2900万人とほぼ倍増しました。

 

 

 

♯標準語と共通語

1902年(明治31年)、国語調査委員会で、方言を調査して標準語を選定する基本方針。

1930年代半ばには、標準語が次第に定着しました。

東北方言と標準語の中間のような日本語を話す話者がいることで、国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であるとし、「共通語」と呼ぶことにした。

最近は、この「共通語」が使われつつあることに、柴田武は、「標準語という用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と。

柴田は、1980年の『国語学大辞典』で、<共通語は現実であり、標準語は理想である。共通語は自然の状態であり、標準語は人為的につくられるものである。したがって、共通語はゆるい規範であり、標準語はきびしい規範である。言いかえれば、共通語は現実のコミュニケーションの手段であるが、標準語はその言語の価値を高めるためのものである。>と記しています。

『日本語学大辞典』(2018)では、共通語は「現実に全国で話されている言語」であり、標準語を「共通語をさらに洗練させた規範としての言語」とある。

共通語は「話しことば」であるのに対し、標準語は「(専ら規範としての)書きことばに視点を置いた概念である」という見解もあります。(Wikipedia参照)