○精神は科学の対象でない
「クローズアップ現代」(NHK)で子供たちへの抗神経病薬への処方の増加と副作用が取り上げられていました。
私は、研究所の内外での問題もあり、メンタル面の勉強を始めて、10年以上たちました。
最初は、「日本も欧米のように早く心療内科や精神医にみせるようにする。そこに通うことが社会的にも当たり前のことにしていく。抗うつ剤や睡眠薬などは常時服用しても安全になったから、恐れないようにと、(同じ頃、弁護士も身近に使えるように訴訟もしましょうと)」といった流れがありました。欧米化というか、TPPにもつながるアメリカ化の一つの流れです。
「うつ病」、「発達障害」などが一般化してきた頃で、「がんばれ」などと言ったり、無理を強いてはいけないという風潮が強まっていました。
私なりに納得できずにいましたが、今よりは心や精神を扱う専門家を信頼していました。(臨床心理士やカウンセラー、コーチ、メンタルトレーナーなども、ですが)しかし、ここ3年くらい、いろんなところで実際に状況を見聞きして、とんでもない方向にきたことを感じています。
研究所でレッスンの休会として留学やドクターストップで診断書があれば、優遇するようにしています。そこで出される医師の診断書や薬に疑問が募っていったのです。(これはのどの病気ではなくメンタル問題として)いまや、書類は簡単に出るので、もう私自身も、提出はいらないと思っています。
医学は対処療法なので、根本的なことは自分で治すように、治すというより改良したり鍛えるしかないと私は述べているのですが、科学や理論にかぶれている今の人には、まだ医者や学者の言うことに対しては即、信頼してしまうのでしょう。
科学的(態度)とは「科学的に信用できないものは実証できない限り信用すべきでない」ということです。となるともっとも科学的でないことをやっているのは医者です。第一に、精神的なものは科学ではありません。声と同じで、生活のリズムや体力、精神力を回復、もしくは強化させなくては解決しないのです。うつ病もセロトニンの不足…でないということがわかりました。心に関する限り、科学は、仮説の繰り返しです。そもそも、正常とか普通とかのスケールをもってくること自体おかしいことなのです。
私からみると、どうも普通でないのは、そういう分野の医師、スタッフ、カウンセラーなどの方なのです。どうしてそのような仕事に興味をもったかからして、ある部分では、心の病といえるのかもしれません。(すべての方がそうだというつもりはありません)
○依存という病気
心の問題は神の領域ですから超一流の人間や医師でなければ手をつけるのも恐れ多いのですが…。宗教のようなものであり、簡単に答えが出せないだけに、医者としては本来、認めにくい分野です。
欧米のものを、そのまま日本へ持ち込んだところで、患者を取り巻く環境も違うのです。
チェックリストで判定したら、普通の人も、ほぼ“患者”になります。その裏に心の問題を病名にして一儲けしている薬メーカーの存在を感じます。
薬物療法、心理療法など精神医学は、その在り方自体が難しい学問です。PTSD、フラッシュバックのトラウマが…といっても、これはアメリカの軍人の後遺症で、有名になりました。とはいえ、イラク戦争に行かなかった私でも、よく幼少時のことは夢に出ます。私も緊張して汗をかくと声が震えます。
駅前に足裏などマッサージの店が増え、精神療法(ヨーガなども含まれる)やメンタルヘルス機関に通う人も増えました。ようやく日本も欧米並みになると喜んでいいのでしょうか。しかし、人間として、いや動物的に?生物的に?弱いと、そういうものに依存していくともいえるのです。生活保護や障害者年金(これはまさに、うつ病に支払われている)と同じ構造です。
家族や友人で癒せないことがベースにあります。孤独死も今に始まったことではないのですが、本人の事情抜きに問題視されるのが問題です。過保護、おせっかい、社会の中には、それを問題とすることで食べていける人がいるのも事実です。
テレビでは、家の中、こんなにキレイにしていても汚れやカビ、ウイルスがこんなにいると、徹底して調べ、ゲストが恐怖の顔でコメントする。その対策としていろんな商品を使うことを勧めます。視聴した人の中には子供のためにいろんな対策する人も少なくないでしょう。でも多分、子供がそこをなめてみても死にません。下痢もしないでしょう。超清潔国日本、虫よけの費用もバカになりませんが、そのために体は弱くなる一方でしょう。暑いからクールビス、臭うから消臭グッズ、汗をかくから制汗剤。
日本人の体は、他の民族より臭いません。湿気が多く腐りやすいから昔から清潔好きです。商品開発としては、他国のこれからのシルバーやリッチ層へのマーケティングにもなり、輸出もできるから、全てだめとは思いませんが、若い人には頼ってほしくないと思います。
○程度問題を差別にする
メンタルヘルス症候群ともいえるものについて述べたいと思います。もともとこれら精神に関することは、宗教(または哲学、文化など)の扱う領域で、その不調は病気とは思われていませんでした。変人、変わっているということが病気とされるのはおかしなことです。「自分は正しく、あの人はおかしい」という、「おかしいのを劣っているから何とか普通にしなくてはいけない」、などとなると、過去からの偉大な改革者、革命家から発明家、起業家そして芸人、役者、アーティストなどはすべてそれに抵触するでしょう。しかし、そこでの去勢化、つまり優れた人も含めて、人と変わった人を認めない、否定する、排斥する、そういう風潮はますます強まっているようです。昔から、その傾向は日本では強かったのですが、昔はどこかで“変“や”悪“を、世の中や将来のために用いる器量の大きな人がいて、支えたり、世に出したりしたものです。
私が思うに、いわゆる“学校”というので、まがいもの、うさんくさいものとして扱われていることが、日本での洗脳と矯正の対象となるのでしょう。問題となる考え、行動をすべて排してしまおうというのは差別の問題に行きあたるのです。
映画などで私たちは、まともすぎる人、正しすぎる人が精神病院に収容されるシーンをみてきたでしょう。それが現実にはびこっているともいえるのです。
精神があいまいというので、何とかつかみたいと心理学のブームで、スピリチュアルカウンセラーの活動も著しい日本ですが…。脳科学というものが脚光を浴び一気にその傾向が強まった気がします。そのおかしさは、いくつか私も触れてきましたが、脳の異常とは実証されるものではないのです。
特にアメリカのものをそのまま受け入れてしまう日本において、抗精神薬の処方はかなり乱用されていると思われます。それは薬物ドラックと変わりがないのです。私の知人の 薬学博士の船山先生は、「毒は薬と同じ」と言いますが、まさにその通りです。
マーケティングや販売戦略で、新薬が開発、承認され、普及していく過程で、どんどん新しい病名が出てくる。学会の発表で、すぐに薬が出る。いや薬ができてから病名が普及してさえいるのです。電気けいれん療法、ロボトミー手術などより懲りたはずなのに、薬はみえにくいし、責任が問われにくいからしょう。
酒を飲んでうっぷんを晴らす、酒で乱れる。この延長にアヘン、モルヒネ、ヘロイン、コカインなどドラックがあり、一方でタバコ、そして、その弱いものとしてコーヒー、ハーブ、お茶などもあります。ハッパは、今も形を変えてはメディアを賑わしています。
○誰でも病気
向精神薬と麻薬や覚醒剤はセロトニン、ドーパミン、ノンアドレナリンなどに作用する点で共通しています。食欲低下、やる気が出ない、動悸息切れ、動けない、起きられない、自殺したい、殺傷したい、幻視幻覚、記憶低下、性格が変わる。日本では精神病の入院が31万人、死亡は年間1万8千人だそうです。(2009.6)
「ADHD(注意欠陥多動性障害)」のチェックリストをみると、子供そのもの、人間の人間らしい行動さえ、障害としているのですから、アーティストなら、ほぼアウトです。特別扱いされたくらい「変わっている」と思われたくなく、「普通でありたい」、「普通と認められたい」という、日本人は特に強い願望を病気として病名をつけ、薬を処方、あるいは治療しているように思われます。
眠ることができているのか―睡眠のキャンペーン(内閣府2010.3)で自殺対策というのでしょうか。睡眠薬や向精神薬をやめたほうが自殺しないというデータの方が真要できそうです。
「抗うつ」剤はセロトニンを増加させるものですが、今では「うつ病がセロトニン不足のために生じるのではない」と否定されたそうです。ここ3年くらいから、風向きが大きく変わってきて、副作用を認める発言を日本うつ病学会の理事長がしています。(2009年)
「発達障害」は言語、コミュニケーションの障害なので、私もかなり接してきたのです。社会性の障害や同一性保持行動(この2つだけなら、アスペルガー症候群となる)も関係していきます。こういう自閉症気味の人とヴォイトレで関わらざるをえなかったのです。人づきあいが苦手、頑固、わがまま、イライラ、責任を転換する、などがその傾向です。
「躁うつ病(双極性障害)」、「気分変調症」という判断が増えているのは、うつ病が治せなくなってきたからではないでしょうか。うつ病に薬を出し、治らないと躁うつ病となって、また薬です。程度問題です。公園で裸になっていたSMAPの草薙さんはタレント活動を継続しているのではありませんか。先の傾向なら私自身も、私の知人の多くも該当いたします。
「強迫性障害」は頑固に信念を持って、こだわって何かをしている人ですが、執着心(妄想)を含めアーティストはすべて執着するものです。
健康「病」さえ出てきそうです。病院の待合室に来ない仲間を「今日は具合でも悪いのかね」というジョークと同じで笑うに笑えません。
先に述べましたが、「潔癖症」も、これだけ毎日、メディアで抗菌抗臭をPRされていたら普通の人なら陥ってしまうでしょう。
「不安障害」とは、緊張、不安のない人はいません。ここにも緊張して声が震えるということでいらっしゃる。
人間的に弱い、打たれ弱い、そこを強調すると、ハラスメント、人格障害と言うのです。
人間、弱くなると自分のせいでないと、他人に認めてもらいたいがために、「病気ですから心配しないでください」「○○という病名になります。薬があります」で安心するのです。薬を減らしたり出したりしない医者は、儲からないだけでなく日本では信頼されない。結局、患者になりたい人は他のところへ行って、大量の薬をもらい、安心するのです。そして、そういう医者をいい医者だというのです。
日本では抗不安薬の売上がダントツで世界1位です。
○依存症にして病気を継続させる
PDSD「トラウマ」も、子供を抑えきれる親や教師がいないし、いつも何でも言うままに、いえ、言わないのに、心配して親(まわりの人)も医者も本人も、場合によっては会社や学校も病にしてしまうのです。医者に連れて行くし、そこで主治医は絶対的にアドバイスしているのです。
多くの人は、どこかしら「変」で「普通などない」ものです。
生活のリズムのためのアイデアを出し、カルチャーに触れ、心のリハビリをすること、主治医の言うことは減薬、断薬にもっていくこと。次の病名を一度、自分できちんと調べてみてください。
「人格障害」
「気分変調症」
「摂食障害」
「総合失調症」
食欲不足の「拒食症」、やけ食いの「過食症」。これもモデル体型目指すため、皆太っている自意識のなすことです。
「カロリー制限」が、糖質、炭水化物制限になりましたが、これも度を過ぎると危ないです。私なりにいくつか度を過ぎないようにアドバイスしたいのは「水」「スポーツドリンク」「ウコン」「しじみ」サプリやビタミンについてです。
「総合失調症」では、妄想、幻覚(聴)思考が支離滅裂、被害妄想というのですが、全てにおいて定義を厳しくしておかないと本来の病たるものとして判断するのは、難しいものです。ヴォイトレと同じくアップさせていかないと、すべてが効果や結果としても、気分的なものになってしまいます。
結局、患者になりたい人は、たくさんいるのです。でも、神経質をナイーブといいかえたらよいだけのことです。
薬は毒なのです。少なくとも私は、薬を使うことは必要でも、少しずつ減じること、断つことを心掛けて欲しいと思います。(もちろん例外はありますから、皆にということではありません)「会話が通じたら普通」なのです。