◯アカデミー賞コメント訂正
<第94回米アカデミー賞授賞式で、、、ウィル・スミスが、妻のジェイダさんをネタにしたコメディアンのクリス・ロックにステージ上で平手打ちをしました。これは病だったので、侮蔑と差別表現にあたるのでしょう。クリスは知らなかったと思われます。ハプニングでしたが、暴力を振るってよいことにはならないです。その後、、、3/29>と述べました。
どうやら、クリスは事実を知っていたらしいので、訂正します。多分、知られているなかで意図的にいじったとなります。そして、40分後のスピーチに、ウィルが、スタンディングオーベーションで迎えられて、涙ながらに釈明したのです。
しかし、ジム・キャリーは、「ハリウッドは腰抜けになった」と批判し、そのあたりから、アメリカでは、この暴力を強く非難する流れとなり、ウィルは、アカデミーを退会しました。
日本では、奥さんを庇ったことで、ウィルの行動に肯定的な反応が多いのに驚きました。日本ではウィル・スミスしか知られていませんし、拳でぶん殴ったんじゃなくて平手なら、お笑いなんかもでも使われているし、と思ったのでしょうか。
でも、結構、本気で顔を張った感じでした。軽ければ、クリスもそこで謝るなり、洒落で返すなり、見せ場だったのでしょうが、ウィルの勢いに、会場も凍てついたのです。
私たち日本人なら、とっさに反論などできず黙って耐えてしまうでしょうから、それを果敢な行動で示したウィルの勇気に拍手を送りたいのでしょうか。それとも夫婦愛?
ハリウッドでは、このカップルは仮面夫婦としても知られていて、ウィルが男気を過剰に演出した、そうした男性性の暴力は、野蛮以外のなんでもない、となったように思います。
ウィルは、クリスより一回り大きい黒人ですし、暴力に晒されてきたアメリカの事情やロシアの力ずくの侵攻などもあるのでしょうか。抗議するなら、マイクを奪ってスピーチするなり、夫婦で退場するなり、他にやりようがあったでしょう。黒人だから暴力を振るうなどと思われたら、とんでもないという思いもあったのでしょう。
アカデミー自体、白人第一主義から抜け出そうとして、また、バイオレンスものでなく、夫婦や家族の絆ものを、評価するようになりました。、ハードなものは、ネットの作品に、となり、また、その進出も著しく、とにかくハリウッドは揺さぶられているように思えました。
こうしたリアルな現場の方が、見せ物、話題になってしまうのは、どうもなぁ、という気がします。
でも今回のウクライナ危機と同じく、海外のことに目を向けてこなかった日本人が、関心を持ち、考えるきっかけになるのは、よいことだと思います。
まあ、日米の違い、時代の動向も知り、他山の石としましょう。
◯このブログのスタンス
上紀で訂正したり、述べたことも、一面的なソースからで真実とは言えません。
このブログでは、広くテーマをとり、世界や時代と自分の人生をつなげ、できるだけ、物事を深く考えるためのきっかけ、その材料として出しているつもりです。
事実確認できないものも、訂正されないままの事実誤認、間違いも、多数、含まれていると思います。Wikipediaを引用で時々、使っていること自体、確らしさを第一にしていないからです。
話材の真偽や論議よりも、それをケーススタディとして、そうした材料から、自分で調べたり、考えたり、モノの見方やコモンセンスを養うためのものとお考えください。
雑談のネタくらいには使えると思いますが。
◯歌舞伎役者と映画スター 映画からテレビへ
ネットに行く前の、メディアの変遷です。歴史は、繰り返されるからです。
戦後しばらくまで、板の舞台で芝居する歌舞伎役者が、土の上で演ずる映画の俳優になることは、見下されていました。
その歌舞伎役者は、能の役者から河原者と見下されてきたのです。室町時代からみたら新参者だからです。
新しいメディアに乗っかっていくときは、既存の勢力から卑下されるものです。
テレビは当初、電気歌舞伎紙芝居といわれ、映画のスターが出演するものではなかったのです。
1925年の3月から日本初のラジオ試験放送が始まり、7月本放送となります。大阪や東京ではラジオの小売商が、店頭にスピーカー付きのラジオを置き、野球中継などを流していました。
テレビは1951年の3月に、NHKが新宿と渋谷で公開受像実験を行いました。
1953年8月末、日本テレビは、首都圏の55カ所に220台の街頭テレビを設置しました。このとき、1番大きいので27インチです。当時の価格で1台55万円、サラリーマンの初任給が1万円でした。
まもなく、テレビは、映画を抜いていき、映画の黄金時代は終わったのです。