◯金銭と芸
お金がないから、稽古事やトレーニングをやめる人がいるのは、残念なことです。
トレーニングは、お金でやるのではなく、自分を高めるために行うものです。
お金もないのに、そんなことをやっていては、よくないと考える人もいます。
それが家族や伴侶、あるいは、親戚や友人や知人など、他人のために、というなら、仕方ないと思うこともあります。他人のためにやることがあるなら、自分のためでもあります。
ただ、やめるだけで、次に新たなことを行わないなら、学びが止まります。
それは、自分のやっていること、自分が生きていくことに対する否定になってしまいかねないのです。
人間関係とも似ています。
自分の望む人生を生きる余裕がなければ、諦める、
それは、分相応の生き方をするという意味では、あたりまえかもしれないのですが、
金銭によって決められる、それでは、悔しいでしょう。
金銭難で充分な時間がとれないことに、つながることは、あるでしょう。
でも、トレーニングは、自分を変えるために行います。
将来とは、有名とか成功とかお金とかではなく、
充実とか健康とか自分の人生の証の探求もあるわけです。
続けることで、よりよい生活や人生につながるのです。
むしろ、お金で叶えられないことを時間で叶えることができます。
ですから、私は、無芸のお金持ちを羨ましく思ったことはありません。
お金で叶えられることでも、自分の時間をかけなくて得られたものは、
他の人の時間をかけたものを預かっただけに過ぎません。
それで他の人が助かるなら、金持ちの人の社会への最大の貢献です。
格差社会をこうしてみると、金銭の多少などと人生はさほど関係ないのです。