まあ、芸能の世界は、常に転機であり、定年、いや、引き際も自分が決めるようなところですが。まわりから、突きつけられるところもありましょう。
仕事を生計の方に引っ張ると、また人から頼まれる仕事で将来が埋まっていく、
私なぞは、それを断る勇気はなかったので、
ようやく、この年齢になって、そこに踏み込まないよう、気をつけるようになったわけです。つまり、自分の時間を手に入れる、
その時間の使い道をもう他人に預けない。
ただ時間は、使わないと、いくら手に入れたつもりでも、
ぼーとしていると、ただ失われていくのです。
いや、ぼーとこそが、大切な時もあるから、ややこしいのですが、、、。
時間を使えないときには、お金も使えないわけですから、あまり考える必要がない、
反面、時間とお金を使う美学、ポリシーに目覚めなくてはいけない。
結局のところ、求めてくる人には対応するし、
こちらが時間やお金を使ってでも、育てられるものを育てていく。
それは、次代の世のためでもあるわけです。
誰にも頼まれない、思い込みだけの使命感、虚構のなかで。
前回の続き、です。
まわりや相手が向かい合っていない、
それで、自分も向き合わないのは、わがまま、
わがままで、贅沢、それを選ぶのもいいでしょう。
仕事がこない、合わなくなったからやめる、
いや、仕事はつくる、合わないものに合わせる。
アーティストとクリエーターの違いなのか、
売れっ子と売れない子の違いなのか。
金をもらえばやるが、金を出してはやらないのか、
いや、向かい合うのは、出費なのです。
向かい合わない相手を向き合わせてきた、
お芝居と仮面のなかに、現実以上のリアルをみてきた、
似ているところに反発している自分の内を述べてみました。
明日は我が身、どこにあるかと揺れながらも、
今日すべきことをするまで、です。
アートも現実も、ほんの束の間のリアル、
それを求めて生きる。
所詮、どこにいても何をしても、
すぐに塵となる、
と思えば、それなりに、
向かい合って生きるに足る人生だと思うのです。
これではあんまりなんで、具体的に、続けます。