fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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リタイアの美学 向かい合うこと(2)

まあ、芸能の世界は、常に転機であり、定年、いや、引き際も自分が決めるようなところですが。まわりから、突きつけられるところもありましょう。

 

仕事を生計の方に引っ張ると、また人から頼まれる仕事で将来が埋まっていく、

私なぞは、それを断る勇気はなかったので、

ようやく、この年齢になって、そこに踏み込まないよう、気をつけるようになったわけです。つまり、自分の時間を手に入れる、

その時間の使い道をもう他人に預けない。

 

ただ時間は、使わないと、いくら手に入れたつもりでも、

ぼーとしていると、ただ失われていくのです。

いや、ぼーとこそが、大切な時もあるから、ややこしいのですが、、、。

 

時間を使えないときには、お金も使えないわけですから、あまり考える必要がない、

反面、時間とお金を使う美学、ポリシーに目覚めなくてはいけない。

 

結局のところ、求めてくる人には対応するし、

こちらが時間やお金を使ってでも、育てられるものを育てていく。

それは、次代の世のためでもあるわけです。

誰にも頼まれない、思い込みだけの使命感、虚構のなかで。

 

 

前回の続き、です。

まわりや相手が向かい合っていない、

それで、自分も向き合わないのは、わがまま、

わがままで、贅沢、それを選ぶのもいいでしょう。

 

仕事がこない、合わなくなったからやめる、

いや、仕事はつくる、合わないものに合わせる。

アーティストとクリエーターの違いなのか、

売れっ子と売れない子の違いなのか。

金をもらえばやるが、金を出してはやらないのか、

いや、向かい合うのは、出費なのです。

向かい合わない相手を向き合わせてきた、

お芝居と仮面のなかに、現実以上のリアルをみてきた、

似ているところに反発している自分の内を述べてみました。

 

明日は我が身、どこにあるかと揺れながらも、

今日すべきことをするまで、です。

 

アートも現実も、ほんの束の間のリアル、

それを求めて生きる。

所詮、どこにいても何をしても、

すぐに塵となる、

と思えば、それなりに、

向かい合って生きるに足る人生だと思うのです。

 

これではあんまりなんで、具体的に、続けます。