20世紀までに、かつて人類の描いた全ての理想というもののほとんどが現実化しました。そうなってみると、かなりひどく醜いものでもありました。とても立派な人の半分くらいは、ほとんどがとてもひどい人たちであったことが、露わに見えてしまったのです。しかし、これは、これからさらに人類が平等になって、人種や国の壁をなくしていくためにやむをえなかったことでもあると思うのです。今の私たちは、それを経て全く新たなところにいる。いや、行ける可能性をもっているのです。
万人平等という共産社会主義は、結果として一部の人への富と権力の集中、独裁社会でしかなかったことがバレてきました。世界を独裁者から救うという自由平等を掲げてきた資本主義、民主主義もまた、推し進めていくと、どんどん少数の富の独占となり、貧者へ銃を向けていくこともバレてきたのです。そして共に、その実現の名の元に何百万人もの人を殺してきたわけです。それまでに、神の名の元に虐殺してきた以上の数の人を、です。
共産党も含めて、案外と日本のようなめめしい国の社会が平和でいいのでは、と薄々気づいているのに、まだ認められないのです。ただ、私は日本システムもまた、とても民主的とはいえない世間体の目に見えない独裁体制に思えるし、個人の自由の自主規制、集団弾圧という心地悪さを感じてきました。
権威の崩壊は、今回のオバマ大統領のシリア攻撃が実行できなかったことに見取れると言う人もいます。ただ、アメリカを動かす1パーセントにも満たない人が、ロシアを動かしている同じような人たちと反目しあい、利権をこれ以上無理に押し進めることのデメリットに気づいて引き下がっただけのような気もします。
アフリカの混乱を見てわかる通り、民主化によって、かつての社会よりもよりよくなる保証はありません。でもそれで救われる人もいるのです。
イギリスの王室や日本の天皇制は、象徴という一つの権威です。どこでも人は権威を欲し、それを使って事を成してきた、変革もしてきたのです。よきにつけ悪しきにつけ、すべての権威が否定されるものではないということではないかと思うのです。