◯理想主義の限界
理想を語るだけなら、誰もが語れます。
その理想を目指し、多くの人が汗水を流し、試みてきました。その結果、そういう理想は不可能だということを何度も突きつけられてきたのです。
突き付けられた後に同じようなことをそのままに唱えるのでは、仕方ないでしょう。
それでは、人間の歴史を学び、人間を理解しようとしてきたとはいえません。
理想を掲げて、短期的には、まわりの人が幸せになるということは、時折、実現されてきたと思います。さほど人数が多くなかったり、さほど長い期間でなければ、です。
◯独裁の限界
政治であれば、本当に優れた人間が独裁するのがよいのに決まっているのです。
優れた人間と言うのは、いつの世にもどこの国にもいるのですから。
優れた人と思われた人が統治した際も、ほとんどは、その後半頃に世は乱れ、なんとか、その代では全うされても、その後継者や子孫がそれを台無しにしてしまうのです。
独裁者が世の中がよくなるように変えようと急ぐと、その反動として、かなり悲惨な方向に早くぶれて大惨事になることを、私たちは歴史として何度も経験してきたのです。
そこで手続きを複雑にし、なかなかよくもならない代わりに、すぐにひどくならないような体制を整えてきました。それが民主主義といえます。
民主主義が発達したのは、1人の人間が長く権力をもつと、ろくなことにならないという歴史からの教訓です。
◯専制主義
天才的でとても素晴らしい人は、政治家になろうとせず、我欲の強い独裁者が権力を欲するのです。民主主義というのは、自由も、平等もよくわからないものです。
国民主権と言っても、国民が成熟して、優れた判断を下せなければまともなものになりません。衆愚政治、ポピュリズムなのです。
ですから専制主義がいけないということにはなりません。ただし、人間と同じで、国においても、誠実でなく嘘をつき、弱者を弾圧し、卑怯なことをしていたら非難されるべきだと思います。弱い者いじめはよくないのです。
キューバの社会主義やシンガポールのリー親子の専制政治など優れた例もあります。
その反面、もはやアメリカもまともとは思えませんが、ヒトラーを生んだワイマール憲法下のドイツも民主主義で運営されていたのです。
今や、グローバル化で市場主義となり、国のコントロール力が弱くなりました。
ITの発達によって、これまでの国と国との拮抗関係で、世界戦争を防いでいた枠組みが崩れつつあります。ナショナリズムの台頭と実質的な独裁体制の強化がいたるところでみられるのです。
何よりも2世3世が権力を継承したり、1人の人間が何年もトップに立つのは、本来の意味での民主主義とは、違っているのです。
この日本では、議員だけでなく、マスメディアやコメンテーター、評論家まで、今や一般庶民より高級取りなので、おのずと保守、保身でなうなうでやり過ごすんでしょう。
文通費の領収書公開はどうなったんすか。