◯マスメディアの歪み
たまに世間ずれしたマスメディアの人がいます。
「え、テレビに出られるのを断るんですか」なんて、、。
皆が、芸人ではないでしょうに。
◯テレビは、怪物
永六輔さん、テレビの草創期の第一人者でした。
「テレビが本当に日本を恥ずかしい国にしてしまった」
と言っています。
「最近のテレビには、何の芸も無いのに、コメンテーターと称して偉そうにしている人間が何人も出ている。」
「政治家と有名人の境界がなくなっている」
と指摘しています。
まあ、永さんも参院選に立候補しましたが。
このコメントは、先のドラマ「最高のオバハン 中島ハルコ」(11/2up)のせりふとそっくりです。
こんなことが、テレビで繰り返し流されるうちに、知らずと当たり前のこととなってきたわけです。テレビは、恐ろしく人を洗脳します。まるで神のように、です。
以前は、歌手、今は、お笑い芸人を一夜にして、大スターにしてしまうのです。
アスリートも作家も、テレビに出ると、一気に稼げます。
(そこは、Youtubeでも、500万人あたりを超えると同じ、気をつけなくてはなりません。)
現役のアスリートがバラエティに出るのも、いろんな芸人が自分の専門分野の価値以外で稼ぐのも、私はいまいち、腑に落ちません。
そこにスペシャリティやオーソリティがいないのは、日本特有の現象でしょう。
内容がなく、質が落ちるのもあたりまえです。
歌い手でさえ、そうなのですから。
日本は、まれにみる、素人大国です。今に始まったことでありません。
視聴者が、それを求めるからですし、メディア製作者もそれに応じているからでしょう。
庶民の文化という点では、なかなかと思いつつも、
おもしろさ、かわいさやかっこよさばかりが求められ、
旅行やショッピング、グルメ番組ばかりなのは、
平和でもあり、亡国の予兆でしょう。
#永六輔のテレビ批判
<『文藝春秋』100年で「テレビ」「芸能」の肉声を本格的に伝えるような記事は、1969年3月号の歌手・東海林太郎の記事「今の歌手はみんな落第」。活字メディアが「テレビ」や「芸能」に冷ややかな目線を持っていた。多くの著名人やテレビ人が「近ごろの」テレビや芸能に対して批判を寄せている。
2007年8月号「TVが王様『恥ずかしい国・日本』」で、永六輔は、
「有名人というジャンル自体、テレビ以降に生まれたもの」だと指摘している。その上で「有名というのは恥ずかしいこと」「テレビに出るだけで人気者になるのは恥ずかしい」と繰り返し述べ、「テレビが日本人を恥知らずにしてしまった」と嘆くのだ。
黒柳徹子は、永と久米宏との鼎談(2006年10月号「テレビの品格を問う」)で、テレビから生まれた「有名人」を、三國一朗の造語と断った上で「有顔人」と形容している。(文藝春秋ホームページより抜粋)>