◯インパールの戦い補遺
先日の、ミャンマーの記事に加えておきます。
どうも、日本人が考えもしないほど、イギリス人がインパールの戦いを大きく評価しているらしいことについてです。
かつて、ユーロスターでパリからロンドンに行くと、ワーテルローの戦いで勝利したことで命名した英語読みのウォータールー駅に着きました。これは、イギリス人の嫌味ですね。
そういう彼らには、ナポレオンやノルマンディー作戦でのドイツなどよりも、日本軍に勝てたことが、強く印象に残っている、しかも、いまだに?ということです。
日本軍の強さは、日本の文化の影響などをはるかに超えて、当時、欧米の帝国主義国には驚異的だったのでしょう。イギリスは、大戦早々にプリンスの名を冠した戦艦など2隻を沈められ、しかも、シンガポールまで、あっという間に占領されたわけですから。チャーチルは、著書でマレー沖海戦でこの2隻を失ったことが、第二次世界大戦でもっとも衝撃を受けたと記していたそうです。
その精神は、昭和の時代までは、企業戦士として受け継がれましたが、平成の時代にはすっかりと弱まってしまいました。そして、令和になって、終焉を迎えようとしています。
石原慎太郎氏の死は、そうした時代の終わりを象徴してるようにも思いました。
確かにあの時代、よくない面も多かったのですが、そうした精神を失った代わりに、何を得ていったのか、どのようによく変わっていけるのかをきちんと注視しなければなりません。
日本論というジャンルで本を探すと、自己啓発、スピリチュアルが並んでいて、トンデモ本が少なくありません。
はっきり言うと、自己啓発と国家(信仰)は結びつきやすいのです。
そういうなかには、日本という国家を自分と同一化させることで足元が固まるように思ってしまう人もいるのです。
いきすぎない、頼りすぎない、はまりすぎない、ならよいのですが…。
〇放っておくと増長する
ばかばかしい、わかっているからと、いちいち抗議もせず、黙っていると、
それによって、影響を受けた人が育ちます。
いつ知れず、それが多勢を占めるようになってしまうこともあります。
そのときには、もはや手がつけられなくなっているのです。
〇排他的になるネット
高齢になるほど排他的な傾向が出てくるのは、当然かもしれません。長く生きると、その分、考え方も固まってくるからです。
見たいものしか見たくないし、信じたいものしか信じたくないようになるのです。
一方で、若い人にも、そうなる人が少なくありません。若さゆえに考えないで突っ走るのなら、まだしも可愛いのですが、頭に入ってきた情報で動けなくなってしまっているとしたら、それはもう末期の老人病です。それを増長させているのが、まさにネットの悪い面なのです。
ネットは欲望を反映していくのです。あいまいなもの、無秩序なものを整理整頓して簡単に理解できたように思わせるのです。それを現実と信じるようになるから、怖いのです。