fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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ことばの温度差 2015/12/20

日本では、商店街がなくなり、バザールで値切るようなこともなくなりました。市井の生活での賑わいもなくなりました。社交の世界もない。サロンもつくらない。
日本では、表向きは、平等な集まりです。そこで交わされるのは、中途半端に距離を保っての敬語です。
フランスのランブイエ侯爵夫人は、サロンに出入りする人の言語を改革していきました。ドイツでは、グリム兄弟、ルターのドイツ語訳聖書、イギリスでは、欽定訳の英語の聖書とシェイクスピア
翻って、日本を考えてみると、茶会、連歌の会、狂言などが、それにあたるのでしょうか。日本においては、書き言葉の共通語しかなかったのです。話し言葉には方言を使っていたからです。(この辺は、井上ひさし氏の「國語元年」に詳しい)
日本の標準語は、明治政府の教科書、大正時代のラジオ放送で普及しました。それは、下町の江戸弁でなく、山の手の旧士族のことばを元にした人工的な言語でした。読み書きしか決めなかったのです。読むと話すは違います。
そういえば、是枝監督が「写真が動いたのが映画、ラジオに画がついたのがテレビ」と述べていました。ラジオは“ホット”なメディアでした、マクルーハンのいう意味ですが、映画は脚本を読みます。ラジオ、そしてテレビは、すでに読むよりは話すようになっていると思います。