大谷翔平選手の高一のときのマントラ図の全体を転載してみます。
以前、これについては、述べたので省略します。
「食事夜7杯朝3杯」に、驚きます。今どき、そんな子はいるのでしょうか。
(プレジデント新春特別号2022/2/4 p29 運についての特集。原田隆史さんの記事からの引用)
〇思いやりと素直さでの服従
思いやりや素直さを大切にする教育は、尊いものです。
ただし、一つ間違えると、相手に素直に、ということで服従することを押し付けることになりかねません。
アメリカなどでは、子供の頃から自尊感情と公平、正義を教えます。
今になってようやく、日本では考えるべき問題として、こういうことが社会で論じられるようになりつつあります。どちらかというと、ハラスメントの問題から出てきたのでしょう。
私にも多々覚えがあります。日本の生活の中で、自分の身内や親しい人と外部の人たちを同じように扱うなどフェアな概念を持ち込むと、どうも受け入れられ難くなるときがあります。
これまで通り、なあなあで流していこうと同調圧力が強く働くのです。今までの慣習に従うのをよし、無難とします。
会合などでも、初めて来た人より、これまでの知り合いの人のほうに話題が偏りがちです。そういう人に経緯を説明しつつならよいのですが。
公の場なら、身内の話は切り上げるなり控えて、全員に共通の話題、同じスタンスで共有できる話材を取り上げることでしょう。
パーティーでは、壁の花を作らないように配慮します。はじめての人や慣れていない人をもてなす場でもあります。そういう人に、言葉をかけ話を振って馴染めるようにするのは、ホストや常連のマナーです。
逆の立場になれば、初参でスルーされるような場に、誰がまた行きたいと思うでしょうか。
あえてそこで線をひいたり、マウンティングするような行為さえ見られます。
ですから、日本の場合は、初めて参加した人は、様子見で、あまり発言しなくなります。そこで自己PRなどをすると嫌われかねないからです。
新たな改革、変化を起こすようなことは、その必要度や結果の良し悪しにかかわらず、頭から否定されがちです。何かおかしなことをする、裏切り者のように思われかねないわけです。
とことんダメになるまで、できるだけ何も変えたくない保守的な民族の国であることに思い当たるのです。