fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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「劇団四季と浅利慶太さんのこと」

 ここに劇団四季の人たちがもっとも多くきていたのは、10年ほど前までのことであったように思います。関西や名古屋でも指導しました。声楽出身者と劇団出身者が分かれていて、主に声楽家のところに学びにいった人以外がここにきました。
今ならむしろ、そういう人たちにここはもっともうまく対応できる体制になっていると思います。それ以降は、オーディションを受ける人がよくきます。私どものトレーナーにも劇団四季の出身者やトレーナーをしながら転身した人もいて、よく通じていました。
劇団出身者で声楽の基礎、高音やコーラスの発声法に通じない声の人と悪役声(けもの声など)のようにパワフルで、ハスキーな声を求める人が多いです。さらに西欧音楽にないリズム(アフリカなど)の歌唱や感覚を必要とする人、その他、劇団四季を出て、ブロードウェイなどに挑戦する人などもいました。この場合、海外、つまり国際的な基準を求められるわけです。
この4つの日本の歌唱の弱点は今もどこでも対応しきれていないように思います。言いかえると、この研究所の本質的な役割は、そこに集約されているといえるのです。

 劇団四季と私のスタンスの違いは、これまでも記してきました。浅利氏の日本語歌唱での発声発音法は、劇団のせりふの延長上にあります。元よりミュージカルとしての音楽面は、優先されていないのは、今さらいうまでもありません。
欧米のミュージカルとの差については、よく例として出した「エビータ」のマドンナ・バンディラス版(映画なので入手しやすい)と劇団四季バージョンを比較すると、わかりやすいと思います。

 日本で劇団四季が成功した秘訣は、宝塚歌劇団と同様に、日本人の感性を考えるのによいケーススタディとなります。興行としての手法も、学ぶところ大です。政治的なことでなく、なぜ日本人の感性が、そのミュージカルにとりこまれたのかということです。
私は声と歌で同じく氏が理想としていた美空ひばりとの関連からも純粋に研究してきました。
 今となっては、国家の予算に加えけっこうな自己負担を強いてきた音大の声楽科をも従えてしまったほどの、つまり劇団四季にあこがれ入りたくて音大に入る人が多数いるほどの、そして、ヴォーカルの数少ない安定した就職口として、これだけの組織体制を歌劇でつくった偉業に、深く敬意を捧げ、冥福を祈るばかりです。(日本のオペラは市民権や職としての確立は今だ得られず、です。)