ロバート・キャパ#没後70年展、
彼は、1938年、中国の徐州、漢江に、入っています。
日本と中国の空中戦下に、連合軍サイドからの取材です。
その後、1947年ウクライナに。
最後は、招かれて来日後、突然、取材でインドシナに行き、
日本に戻れず、地雷で死んでしまいます。41歳。
その写真集2冊、ライブラリーにずっと置いてあります。
「私の夢は、永遠の失業である」
キャパの言葉です。
戦場カメラマンでの職業は、スマホなどで誰もが記録できることで少なくなりつつあります。
危険地帯にジャーナリストを渡航不可とする現在の日本、
でも、戦争紛争は、なくなっていないのです。
<ハンガリーのブダペストに生まれたユダヤ人フリードマン・アンドレ。
1919年に福音派の学校に入学、1923年にマダーチ・イムレ・ギムナジウムに入学。
1931年に共産党の左翼運動に加担した容疑で逮捕、釈放後はドイツのベルリンにわたり、ドイツ政治高等専門学校ジャーナリズム科に入学
困窮でパリに在住していた川添浩史のアパルトマンに入り込むこともあった。
1934年ドイツから逃れてきた写真家ゲルダ・タローと出会い、同棲。
ゲルダは、アメリカ人カメラマン「ロバート・キャパ(Robert Capa)」なる人物を創出、フリードマンは、その人物になりすまして、写真を売り込む。
フランスの写真週刊誌『ヴュ』の1936年発刊の号に採用、
「死の瞬間の人民戦線兵士」
この写真は「崩れ落ちる兵士」と呼ばれている。
近年の研究で、これは演習中を撮影したもので被写体の兵士は死んでおらず、
撮影者もゲルダと指摘されている。
1938年に日中戦争を取材、漢口で撮影した初のカラーフィルムのが『LIFE』に掲載される。
1944年にはノルマンディー上陸作戦を取材。最大の戦死者を出したオマハ・ビーチにてドイツ軍と連合軍が入り乱れるなか、撮影。
1954年4月、日本の写真雑誌『カメラ毎日』の創刊記念で来日、
『ライフ』から第一次インドシナ戦争の取材依頼で、北ベトナムに渡る。
5月25日、フランス軍の示威作戦へ同行取材中、地雷爆発に巻き込まれ死亡。(Wikipedia編纂)>