映像の世紀バタフライエフェクト 「史上最大の作戦 ノルマンディー上陸」
<「砂浜には兵士の死体の他は何もなく、眼鏡を探してはい回る従軍牧師がいるだけだった」、これはノルマンディー上陸作戦で兵士として戦った作家サリンジャーの未発表作品の一節。この作戦には15万の兵員が投入され、初めて戦場を経験する者も数多くいた。船の扉が開いた瞬間、ドイツ軍の銃弾が襲う。身を守る物などない中、兵士たちは恐怖を押さえつけ陸地に向け飛び出していく。連合軍を勝利に導いた名もなき人々の犠牲の記録。NHK5/16>
<ドイツ軍の死傷者は約9,000人、約20万人が捕虜、上陸初日で大損害を被ることとなった。
この上陸作戦でもっとも損害を被ったのはドイツ軍でも連合軍でもなく、ノルマンディの住民たちであった。上陸前空襲によって24時間以内に死んだノルマンディの住民は、3,000人にも達した。“ノルマンディ解放”までに死亡した市民は19,890人、別に上陸前の連合軍による準備爆撃でD-デイまでにノルマンディを中心として15,000人の住民が死亡し、負傷者は19,000人。これはノルマンディ解放までにアメリカ軍が被った戦死者数を遥かに超える人数で、連合軍の空爆で死亡したフランス国民の総数は70,000人にも達した。(Wikipedia編纂)>
この作戦、ロバート・キャパもサリンジャーも従軍していたのです。
ドイツ軍は、負けるとわかったところで、ボクシングと同じように勝敗が決まったら降伏をしていたのです。ヒトラーが、降伏しない日本兵を羨んでいたという話を聞いたことがあります。
連合軍最高司令官アイゼンハワーは、この戦いで5万人の犠牲を覚悟していたそうです。最少の被害で済んだことで英雄とみなされ、その後、アメリカの大統領になります。マッカーサーと人生を比べるのも興味深いところです。
勝利の陰で、ほとんど語られなかった事実として、NHK番組の最後の方で、
フランス人の被害が語られます。
解放のためにきた連合軍の砲撃で亡くなった民間人の数が、35,000人、
兵士よりもずっと多いのです。
2023年7月、ノルマンディのフランスの最後の兵士だったレオン・ゴーティエ、100歳、
ソードビーチで葬儀、マクロン大統領も参列。そこに、上陸博物館が。