◯ハラスメントの定義
パワハラ防止法では、パワハラの定義は、「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されること」
セクハラの定義として、人事院規則では、「他の者を不快にさせる職場における性的な言動及び職員が他の職員を不快にさせる職場外における性的な言動」
つまり、パワハラには、業務上必要で範囲内の言動については、OKとなるのですが、セクハラでは、相手が不快に感じたら、アウトです。
殴ったりして傷つけると誰に対しても傷害罪なのに、性的なことは、行為でなく、双方の関係性で決まる、同じことも相手や時によって変わる。それも双方といいつつ、ほとんどは、一方的に女性の受け取り方次第なのです。
言葉のハラスメントでは、行為が言葉なので、暴力よりは曖昧ですが、録音など物証で客観視できなくはありません。
◯差別と偏見
誰も恐れて言わないことのようなので、一種の差別、取り上げられない偏見について、余計なことをいいます。
たとえば、女性が痴漢と思い、振り返って、イケメンとおじさんをみたとき、証拠もなくおじさんが犯人にされるようなことは、これまでもあったことでしょう。犯罪のようにひどいことでなければ、日常茶飯事ではないでしょうか。
見かけや属性で差別してはいけないと言いつつ、もっとも、ひどい偏見をもっているのは、紛れもなく、若い女子といえなくはないでしょうか。
などと、決めつけては、それこそ偏見なので、普通に女子を生きてきた女子のなかに多く存在するのかもしれない、といえばよいでしょうか。それは、同性にも向けられていますが。
その与えられたかのような特権の行使のアンフェアに気づき、自制しないうちは、本当の男女同権にはなりません。思うのはともかく、口にしてはならないのです。
おじさんたちが、あえて汚名を受ける度量をもって、甘んじていることに気づくことです。デブ、ハゲなどと、さげすまされても、笑いで受け流しているのです。でも、まだ、かまわれるだけありがたいもので、存在スルーになりつつあるようですが。
ただ、こうしたものの構造は、差別というよりは、区別だとも思います。
生物的なところの差異に根差しているからです。
法で裁くところで限界はあります。いじめとも通じますが、「相手の嫌なことはしない」これが不変の原則です。でも、そこも受け止める人や関係性によるので、難しいし、人間ですから、いろいろとあるのです。
いじりあって、ばかにしあっていて、楽しんでいる人間関係に、飲んでは言いすぎたり迷惑をかけ合っている人々に、規律やモラルを持ち出したくはないでしょう。
ただ、あまりに、「一方的になっていないか」に注意してみること、これが絶えず必要かと思うのです。公正取引委員会みたいですけど、、。