力の支配からの脱却 国、社会、学校で

◯暴力と説得力

民主主義国家に関わらず、揉めごとは、話し合いで解決するのが、理想です。人類は、殺し合いから、話し合いに向かい、進歩してきたのです。

今となると、その最大の根拠というのは、文明の進歩、科学による武器の強力化で、

結局のところ、戦争で得られるものは、その犠牲に見合わないとなったからです。

ここも、経済合理性です。

となると、自分たち以外の戦争は、大きく長いほど、儲かるというのが、現実です。

私は、人間の慈愛、博愛の心も信じてもいますが、ある規模を超えた政治判断は、利害でなされる、これもまた、現実なのです。

そうでなければ、この世界の中で、戦争や紛争がこれほど続くわけはありません。

 

いうまでもなく、一番の暴力装置は、国であるからです。国民が認めていることになっているからです。

国だけが、犯罪者として人を拘束し刑罰を課し、国にもよりますが死刑にしても、罪を問われません。それを個人の思惑でできるのが、本当の独裁者です。

 

話を身近にします。会社や学校にも、人間が集まるところ、必ず、いろんな相克があるものです。まずは、学校において、です。

 

◯学校の現場での対策

ドラマには、いじめ、登校拒否、引きこもり、退学、自殺などがあるような学校の現場というところ、その延長である会社の現場を取り上げたものが、数多くあります。

 

今回、とりあげるドラマは、「最高の教師 1年後私は生徒に◾️された」です。

これは、学校の現場で、その具体的な対策とその考え方を教えてくれます。

いじめたり、いじめられている当事者だけでなく、いじめに同調せざるを得ないもの、見て見ぬ振りする浮遊層、無関心派といった、その他の生徒に、働きかける論法です。

 

主人公の先生は、生徒に殺されるところから、遡り、その防止のために、あらゆる手段で個々の対策にあたっていきます。

まるで黒澤明監督の「生きる」の主人公のように、です。死を覚悟すると、そこまで平凡に事勿れで生きてきた人間でも、変われる、なりふりかまわず、信念に基づいた行動をとれることがあるのです。ただ、難しいのは、それをまわりにどのように説得、同調させていくか、です。

しかし、それこそが、暴力での支配に対する言論での戦い方なのです。

そこは、社会に出る前の、教育現場、学校で取り組まなくてはならないことでしょう。

 

続けて、具体例を引用していきます。