fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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マスクのオンオフ

◯マスクの着脱

政府は、マスクの着用について、個人の判断に委ねる方針ということで、賛否両論。

 

私のところでは、個人のレッスンについては、トレーナーと二者間の合意に委ねてきて、これまで問題は起きていません。日々、情報、状況、体調は変わり、相手によっても、刻々と変わることには、現場の判断に任せるのがよいからです。その責任は、任せた私にあり、責任の取り方は、事が起きてからでないとわからないところもあります。

二者間でできることをグループや集団では、フェアにできそうもないし、責任も負えないので、現状、集団の利用は中断しています。ここでは、絶対的な必要がないので、ありがたかったといえます。

 

小学生あたりですと微妙ですが、中高校生なら、それぞれの思いのままの判断優先で、よい時期ではないかと思います。高齢者がいると複雑ですが、、、。

マスクを外さない人も多いようです。外すとなんか恥ずかしいとか、マスクするのに慣れたということもあるのでしょう。両方いるなら、着用が無難かなって、感じなのでしょうね。

 

表情を見ながらのコミュニケーションが、人間の基本です。技術の進歩がそうでない状況もつくりだしているので、どちらにも対応していくのが、賢明でしょう。zoomは、マスク不要ですが、顔出ししない人もいるし、、、。

 

子どもにも個人の判断を求めることを学校の現場では危惧している、などとありましたが、個人の判断というのが、プレッシャーとか、同調的な圧力との兼ね合わせなどと考えては、日本は変わりません。自分で考え、実践する機会を与えるのが、教育の場です。

みんなが外していても、着けていてもよいし、みんなが着けていても外してよいと、しばらくは先生が大きな声で言い続けることが、この日本の教育現場では必要なように思います。

 

◯隗より始めよ#

多分、先生方が何の考えもなく、ただ無難だということだけで、同じように全員がマスクしているであろうし、そのことが一番教育に悪いと、先生の誰一人として思わないうちは、だめでしょうね。

一人でもマスクをする先生、全員が外したときには一人でもマスクする先生を期待します。でも、そういうことは教育委員会で決めてくれないとできないと言われそうですし、教育委員会にそんな着想の人はいねえわな。

 

◯マスクで失格

 <将棋の日浦市郎八段が公式戦に鼻を出した状態でマスクを着用し、臨時対局規定に違反したとして反則負けとなった。1月にも同じ理由で反則負けとなっていた。2/1>

棋士がバカなのか、連盟がバカなのか、将棋に責任はないが、、、。