終戦記念日、敗戦を終戦と美化したところから、日本の戦後の誤りは、始まったとも思えます。77年経つと、軍隊の経験者は、今およそ97歳以上の年齢。当時のことを10歳で覚えているというなら、87歳。尚、いっそうの歴史の継承が急がれます。
訂正、、、義勇隊、学徒隊など志願兵には15歳もいたし、沖縄は、14歳だったそうです。
◯理想と正義と悪
世界史上の虐殺なるものは、いじめなどとは違い、現実を超える理想のために、本当によい社会を作ろうと思い、正義感に駆られて行われたことが多いのです。
そうでなければ、そこまでの熱意が出てこないし、そのエネルギーに引っ張られて、実行するような人たちもついていかなかったはずです。
そこには大きな理想があり、そのために、自分も他の人も犠牲になってもやむを得ないとなった。殺人も小さな悪にしか過ぎないという見方だったと思います。
◯悲劇化
まわりの人の賛意を得るのなら、少なくとも、当初はそのヴィジョンや意図は、正しく理想的にみえ、人を惹きつけるものだったのです。
ただ、それを実現していくときに、いろんなプロセスが必要となります。
そのプロセスの管理のなかで、暴力的になって、とんでもない悲劇をもたらすということです。
◯悪事と悪人
人間の悪をなくしていくということは、悪い人を皆、なくしていくことです。
悪事というのは人間の弱さや愚かさから出てきているものですが、それに対して無慈悲になるということにつながるのです。
強さ、賢明さだけが理想なのか、むしろ、そのために、悲劇が大きくなってきたのではないのか、強い人、賢い人だから、とんでもないことをできてしまうのではないかということです。
悪いことというのが、少しずつ、権力者やその管理者にとって都合の悪いことに変わっていくのです。それを隠し、自分達を守るために、いろんなことがなされるようになっていくのです。
悪に寛容に対していくと、悪の人間が独裁者となり、ひどいことになるでしょう。でも、それは誰かには、理想的なことです。誰からみて悪か、ということに過ぎません。
どちら側に立つのかで、決まるような社会にするから、悲劇がもたらされる、だから二極化してはいけない、と言うのは簡単でした。
が、多極化も一極化も皆、似たことになっていくのですね。
◯身内びいき
日本人は、日本が勝てばうれしいし、甲子園野球も地元が勝てばうれしい。自分が勝てばうれしいし、負ければ嫌だし。「キングダム」では、秦国を応援するでしょう。
スポーツや作品は、戦争とは違うのですが、根本では、多分、違わない、その動機も。
殺すか、手を出すか、言葉で言うか、核か、爆弾か、拳か、暴言か、
手段のレベルで考える以前のことが、根本の問題なのでしょう。
でも、悲劇の大きさは、どの手段をとるかで大きく変わるのです。
こうして中高校生のように考えてみたら、
なかなか解けなくなりました。
それが真実に近いのでしょうね。
いつも述べているのは、理想論にすぎんのか、と
盛夏のつぶやき、です。