よい社会を目指して急に改革をしていくのか、少しずつよい社会にしていくのか。
民主的に進めると、どうしても遅くなるのです。民主主義の社会は、手続きを踏むからです。
わざとゆっくりにし、独裁者が暴走して悲劇が生ずるのをなくす人類の知恵ともいえます。
それがこの情報化社会の中において、あるいはウィルス感染などの非常事態の対策において、どう機能させるかが大きな問題になってきています。
どうしても独裁的政治体制が有利で、強権を持つリーダーの手腕によるところが大きくなってくるからです。
それに対して日本は、相変わらずのリーダー不在で、デメリットばかりが強調されていますが、必ずしも悪いこととはいえないのです。ただし、手続きを踏んでいるだけの、効果が出ていない、手続きそのものが、利権になっていることが根本的な過ちをです。
その辺については、このところ、若手の方から突き上げたり崩そうとする動きが出ているのは、大変に好ましいことだと思います。
「判断できないこと」
こうすればよいと断定できるようなことなら、もうなされていると思うのです。
そうでないのなら、なぜなされないかを突き詰めていきます。
そこで立ち止まって、しっかりと考えて、よりよい方向に変えていくことです。
「皆で変えていく」
皆で考えて、皆でよい社会を実現していくこと、これは理想なのですが、なかなかうまくいかないのです。しかし、よい人生が与えられるものでないのと同じで、よい社会は与えられるものではありません。皆でよく動いた結果であるのが、よい社会です。
それが、皆によい状態になっていればよいのです。
そのためには考えなくてはなりません。そして考えているだけではいけません。
一人ひとりが少しずつでも、行動し実践していきます。
日常から、自分から、自分の周りから、周りの人から、よりよく変えていくことです。
「皆のために変えていく」
民主主義は、10対9のとき、10の賛同を得られた意見を選びます。
しかし、選ばれた人は、選んでくれた人だけのために働くのではなく、全員のために働くのです。選ばれなかった意見についても、無視せず、論議を尽くしておくことが求められます。