◯安倍晋三氏死す
安倍晋三元首相、亡くなりました。奈良は、藤原京のあった橿原市にて、です。
最近、アメリカの銃撃事件や他人を巻き込んでの刑務所や死刑を望む犯行、自分の属するコミュニティ社会の喪失感などで取り扱ってきたのですが、行き着くところにまできてしまった感があります。
これから、メディアがどう切り込んでいくのでしょうか。
今の時点ですが、奈良県警とSPには同情します。奈良県立医大病院さんもお疲れ様でした。
政府要人への銃での暗殺は、日本でも、二二六事件♯以降、あったのでしょうか。
謹んで、ご冥福を祈ります。
あまりに想定外、直前なのでか、さすがに自民党も弔い合戦など言わなくなりました。
日経朝刊に見開きでその特集、下5段で右紙面に百瀬氏、左紙面に慎太郎氏の本の広告です。
先程、新宿駅南口で、握手中の猪瀬直樹氏と、1メートルもなく、すれ違いました。
こうして日常に戻れることは、健全な社会であり、ありがたいことですが、お気をつけください。一方で、万一を考えて、わずか1日、街頭に出るのを自粛する選択もあってもよいと思います。個々を取り巻く状況はそれぞれに違うからです。
日本の代議士も、非常時ほど、党の指針でなく、個別に決断して実行する力を持ってほしいものです。
◯理性とモラル
人間の理性は、感情と対立するものではありません。
感情の進化の上に、思考し、心の働きが加わって生まれたのが、理性です。
理性といっても、感情的に行動したことの理由づけに過ぎないことが多いのです。
私たちは、弱い者を助けたいし、不公平には憤ります。
自らの感情に沿って動くのです。それが、しばしば過激な行動になることもあります。
それに対して、モラルは、まずは、人に見られていることで自分の行動を抑制します。
そのうち、それが規範となって、人に見られてなくても守るようになります。
人は、恥じると赤面します。モラルの芽生えです。恥の意識から、罪の意識に移るといえます。罪から罰が生まれ、刑法のようなルールとなります。
◯コミュニティとルール
自分が属するコミュニティがあり、そこにルールがあると守ります。
人の眼や噂を恐れるから、自分がその後に生きにくくなる行動を抑制します。
そのためには、コミュニティが成立していて、そこへの帰属意識がなければいけないのです。
自分の安全の保障を求める、そのためには、気配りです。
対人関係では、あいさつをし、微笑んで、敵意のないことを相互に了承します。
たとえば、他の人を助けることは、効率の悪いことです。
でも、誰かを助けたことが、自分やその関係者、さらに子孫を救うことにもなります。
そういう意識や信頼の元で、健全な社会が維持されます。
ですから、コミュニティの存続と帰属意識がないと、そうした行為も失われていきます。
身勝手な行動で法を逸脱する人間が出やすくなるのです。
♯昭和7年5月に青年将校が犬養毅首相を暗殺した「五・一五」事件。
昭和11年2月、陸軍の青年将校らが軍事クーデターを狙った「二・二六事件」、首相経験者の高橋是清蔵相や斎藤実内大臣ら政府要人を殺害した。
戦後の日本で、ナイフでの刺殺はあっても、銃で死亡にまで至った例は、ないようです。