〇団塊世代雑魚論
団塊世代は、つるみたがるし、仲間意識がすごくあって盛り上がるし、だからといって、何かやるということではない世代です。
一つ上の世代からみれば、どうしようもなく質の悪いガキどもであり、反抗的で辛辣で慎みのない連中だったのです。
人がたくさんいると戦う気もなくなってしまいます。
ここまで、私でなく、ビートたけしさんのことばですので、
曰く、“雑魚”なのです、と。
〇大衆文学と教養
戦後は、まだ文学が強い影響を持っていた時代で、そこで表現されたものは、反体制、反国家、反管理、反伝統、反教養でした。それは映画や芸術にも波及します。ファッション、アート、音楽もそういう流れにのったのです。
それとともに、学問よりは行動することに重きをおいたというのも、純文学的でした。
一つ上の世代、例えば、昭和一桁世代の私の両親の若い頃は、皆が吉川英治や海音寺潮五郎、司馬遼太郎、山本周五郎などを愛読していました。
それに対して、団塊世代は、小林秀雄などの影響で、文学の古典は読んでいないものの、ドストエフスキー、カミュ、カフカなどに惹かれていたのでしょう。それらは、次の世代にも影響与えました。サルトル、ニーチェなども読むべきものだったのです。
アンダーグラウンドでは、寺山修司の天井桟敷やから唐十郎の状況劇場、紅テントなどは、団塊の世代から我々のところまでつながっていました。
〇反逆と正論
当時、反逆を売りとした芸人は、たくさんいます。芸はサブカルチャーであり、誰も相手にしないところで、何でも本音が言えたのです。
漫画家などもそうでした。そういった漫才師やたとえば、漫画家の小林よしのり氏のような発言が、まともに否定されず、正論となっていったことでしょう。知識人の敗北です。
知性の行き詰まりから、身体感覚や感情を重視する流れは、ネットが社会で、さらに進んでいくように思われます。知識は検索で入手できるのですから、覚える必要もないと考える人も出てくるかもしれません。
しかし、思考と言うのは、ボキャブラリーやコンセプトをデータベースとして頭脳に多量にストックしておかないと深まらないものです。
自分の体験を絶対視した、感情的な判断が、無条件で認められるような社会となれば、生きていくのに、とても窮屈なものとなるでしょう。
まとまりなくて、すいません。