子育て世帯への臨時特別給付金、年内一括10万円に、と私は述べてきたのですが、民主的に、といい、聞く力で、といい、1回限りの10万円という、考えようによってはこれだけささいなことに、首相から各党、自治体まで振り回されて、どれだけの時間とお金をロスしているのか、なぜ最初に出されるものがいつも愚案なのかと思います。
時間コストを考えずに、ただそこにいる時間でお金がもらえるような人たちが、政治を、いや何事でも行うと、こうなるという見本です。補助金、助成金、もらえるものなら何でももらうという、卑しい人間だらけになってしまったわけです。お小遣いや貯金じゃなく助けるためのお金です。
それにしても、森友での財務省に、書き換えの国交省。民主主義は正しき文書の記録と保存によって担われているというのに。
こういうことが積み重なると、そのうち不平不満の反動が来て、独裁的なカリスマが現れかねないでしょう。
〇国家ヴィジョン不在
とくにバブルの後になると、政治家は日本の国家ヴィジョンを考えることなく、ただ政局を見て政権を維持すればよいだけの政治をするようになってしまいました。いわゆる政治屋というものです。
国会中継を見ても、興味、関心を惹かれることもなくなりつつあります。やりとりの中で、お互いの知恵を加えて、より良くするという工夫の一つも見られないのです。機知もウイットも個性もないやりとり、こんなことは官僚レベルでよいのであり、政治家の行うことではないはずです。
〇恐れと怖さ
先の開戦から80年、戦後76年、戦争をしなくなると、その怖さがわからなくなります。不条理の死から遠ざかってしまうわけです。それは怖いことです。
コロナ禍でもそれは現れました。まだ弱いウィルスだったから、弱い日本でも結果として、たまたま、よい方に出ているだけです。驚くほど何の予防対象もなかったわけです。
戦前、2つの革命が失敗したのに、まるで全体主義のようになってしまったのが、戦前の日本でした。それは、軍部を恐れたからです。
体験しないものを怖がらないために、どのように歴史から学ぶかということです。
ーこういう文章には、戦争を肯定したり戦争しろと言うことではない、と、いちいち断りを入れなければいけないようなので、入れておきますね。
◯国体、主義、愚行権
日本という国は、国体は天皇制維持で
多国籍資本の収奪、右翼化 ポピュリズム、排外主義が強まっています。
愚行権というのがあります。他人に迷惑をかけない限り自由という古典的な民主主義です。
かつて、資本主義での貧富の差をなくそうとして社会主義が現れたのでしたが、
このあたりのこと、見直してみるとよいと思います。私も課題かな。