fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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民主主義と情報管理

◯政治と民主主義

今や、権力を持った人が、私たちのためでなく自分たちによいと思って、政策を行うことが多いです。ですから、その政策の多くは、私たちによいことではありません。発案時は、私たちのためのようでも、実行までのプロセスで、変わっていくのです。

私たちによくなくとも次代の人によいことなら、それを英断し実行するのが、政治というものですが。

次代の、というと、子供を秘書、そして後継者にする政治家、それは、国民のため、次代の世代のためとは思えません。自分の権力の保持、一家の繁栄でしょう。地元住民は、票田ですから、選挙のときは機嫌を伺いますが、お友だちのオーナーたちとの共存共栄、まあ、どの国もそうですし、あえて取り上げることではありません。

「政治は美味しい仕事だ」と言っているようなものです。岸田総理のことだけではありません。

現金給付をクーポンにするのも、利権ですし、そういうことをする政治も利権に成り下がっているのです。

 

ただ、民主主義は、政府に任せておけばよいわけではないので、これは、私たちの責任、義務でもあるのです。政治が悪いのは、私たちが悪いからです。

私たち日本人は、お上と思うからか、寛容すぎます。

つまり、元より民主主義になっていないのは、いまさらですが。

 

◯情報の管理

言いたいことは、権力者は信用できないということの上で、監視しないといけません。そういう眼で、セキュリティーを整えるように執拗に求める必要があるということです。

たとえば、マイナンバーはじめ、デジタルネットワーク化には、透明性を確保するための強い規制を伴わせないといけません。

 

たとえば、最低限のこととして、

個人情報を提供したら、そのデータに対する権利を本人に帰属させる。

誰がいつログインしたかの記録が残るようにする。

自分のデータを本人がいつでも確認できるようにする。

自分のデータをいつでも削除できる権利を持つ。

などです。

 

◯先を見ない日本人

そういうことには、エストニアや台湾の制度が参考になります。

政府も学んでいるようですが、そんなことをしてくれるとも、できるとも思えません。

 

日本の政府の場合は、もう、100年先どころか、30年先、10年先さえできちんと見通そうとしないのです。うわべの便利さに釣られてはいけないということです。

いくら裏切られても、日本の国民は、日本の政府を信用しているからです。

監視されない権力とは、もはや独裁そのものなのです。

 

政治家や企業は、そうしたシステムやネットワークを動かすのは誰なのかを明らかにしません。実質、自分たちの利権なのですから。

企業をスポンサーに持つマスメディアは、当然、こうした都合の悪いことは、取り上げません。情報管理でいうのなら、政府とマスメディアが結託した状況を許してはならないのです。

政治や行政に関心を持ち、知る努力をして、チェックしたり改革を促すのは、私たちの権利であり義務なのです。