プールを泳いでいると、必要な筋力がつき理想的なフォームになるに従い、水にノル感覚がわかってきます。これは、走っていてもスキーやスケートでも、あらゆるスポーツや武道に共通する感覚ではないでしょうか。その感覚をつかんだ人は、それにはまって心地よくなり手離せなくなってしまうのです。
芸術や仕事についても同じようなことがいえると思いますが、運動はストレートに1つ上の次元を感じさせてくれます。ノリ、それを自分が邪魔してはならないのです。つまり、無私のときに、何かしら、まわりの空気と同化、同調するようなことが起こり、それで自己の最大の能力が発揮できるわけです。
それはまた身体拡張がもたらすともいえる快感です。人は、棒切れや石器から、車、飛行機も、あるいは、リモコン、電話と、なんでも自分の実際の体の外へ、自分の力が使えるように広げてきました。これらも、皆、そうした快感の為するところです。
魚の場合は、生まれたらすぐに泳ぐ能力を発揮できるわけです。人間の赤ん坊は、適応可能性はもっとも広いのですが、実践能力としては全然だめでしょう。
人間は、自分が体得していくよりも、優れた人が極めていたようなものを受け継ぐことによって、もっとも効率よく自分の可能性を開いていくことができるわけです。
人間は、生まれた後も自力で何もできず、2年から3年たたないとまともに歩くことさえできない、自分で飯が食えるよう自立するには、15年以上もかかるわけです。
その期間、他から学んでいると言えるのです。
また、人間は、死という到着点を知っていることにより、それに向かって切磋琢磨もできるのです。1人の人間の能力では、到底なし得ないことも子孫にゆだねていく、そこに寿命があるわけです。
ですから我欲で世代交代を妨げてはいけないのです。つまり個としても種族としても、そういうことで理想への道が開かれているからです。