fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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自分ファーストと構造的劣化 選挙前前日

私たちの時代は、科学などによる行き過ぎた万能主義が壊れて、人それぞれにいろんなものの見方があることを知り、また民族、国家によっても違うようなことから、それぞれの世界はそれぞれに違うことを認め合おうと動いてきました。

欧米が世界を植民地にして富を独占しようとしたり、東西冷戦下、どちらの陣営につくかなどといった大きな世界観というのが崩れたのです。それぞれの民族が独立し、自分たちの国を持ち、自分たちに合うように運営していくのがよしとなったのです。

多元化とか多様性と言われるのは、そうした動きであり、人権問題、ジェンダー、南北問題など、まだまだ解決されていませんが、それぞれの立場があり、それを尊重しようと動いていたのです。

それが、アメリカファーストや東京ファーストなどというような言葉が出てきた頃かどうかわかりませんが、徐々に、自分たちのことをまず第一にしようとなってきました。そして、まさに政治も同じようになっています。

 

自分たちの生活が大事なのは当たり前で、それをどれだけ自分たちだけではないところまで配慮するのが、本来、民主主義の政治のあり方です。しかし、各国に独裁的なリーダーも多くなり、そうした支持者も多くなったのです。

 

つまり、いつの間にか、人それぞれの価値観も考え方も違うのだから、他のことは考えずに、自分だけの考えのなかで、うまくまわればよいとなってきたわけです。すると、他の人がどういうふうに見ていようが、自分とは関係ないとなるのです。

政治や環境の問題など、さまざまなことが起こっていますが、それも、まるでスポーツや娯楽などと同じように、自分が興味関心を持たないなら関係性など持たなくてよいとなってくるのです。

やや別の面から言うなら、プライバシーの権利の尊重を、公に対する義務をなくすことのように、はき違えてしまったわけです。

 

大きな歴史とのつながりのなかで、自分の存在や生活もあるのに、そこを切り離してしまう、となると、自分の働きかけで歴史が変わることにも結びつかなくなります。今は、政治家さえも大局観なく動いているので、私たちが、そういう感覚を持てないのはやむをえないとはいえ、そうであるのなら、これは大問題です。

 

日本がどんどん衰退しているのは、そういった現状をつきつけずに、格差拡大をそのままにし、恵まれた地位や所得の人たちがその暮らしを保守できるようにしているからです。

2世、3世の議員の既得権益、こうしたものは、タレントだけでなくアスリートなどにも共通することで、世襲的になっていることは誰もが知っています。親ガチャという言葉に、今は、国ガチャも言われているそうです。今のところ日本は恵まれた国に入っているのでしょうが、この先、悲観的にならざるをえません。

 

既得権益保守のためには、調査はしないほうがいいし、情報は隠したり残さないほうがいいし、報道の自由は制限したほうがいい。少しの補助金で喜ぶくらいに貧しくしておいたほうがいい。不平不満が出てきたら、どこかとの戦争とやらの危機で目をそらす、投票率を下げるためメディアに争点を強く打ち出さない、裁判官は定年前の高齢者にしとく、などなど、まるでどこかの国のように、いえ、世界中の没落前の統治者がやっていたようなことが、日本で行われているわけです。

 

もとより日本はそういうふうな体質になりやすい国だと思います。貧しいのは自分のせいと思い込んだり、構造的不況などと言われて、社会が悪いから自分が貧しいとまでは考えても、自分が社会を変えていけると感じ、動こうとはしないのです。

こうした構造的な劣化は、何かしら大きな歴史観を持たないと捉えられないものですが、それも日本人は、苦手なのです。

一方、スピリチュアルな力というか、現世でその結びつきを失いそうな人たちが、なんとなく先祖伝来の歴史的なパワーと結びついて、活力を取り戻そうとしています。自分が取り戻したところで、満足しているなら、やはり自分ファーストです。それでもよいから、あと一歩、踏み出しましょう。

若い人がみんな選挙に行くようになれば、それは第一歩になるのです。