fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

「2012年12月、だ」

今年は、世界のトップが替わるといわれ、マヤ文明では、もとい日本では1216日に都知事選、衆院選となり、マスコミはどこにも入れるところがないし選んでも先が…の悲観論調、でも私はときめいています。このフンヅマリ状況によって、自公民以外にいろんな役者が名のりでて、にぎやか、今の日本のメンツ勢ぞろいです。原発、年金・消費税、TPP改憲、および円高デフレなど政策論議、一致しようもないし、どうせ守れないマニュフェストなら、こういうことより、将来の日本のヴィジョンをもっと明確に示し、官僚をどう制すのかを示して欲しいのです。民主党ブームも小泉ブームも、のらなかった私は、今さら自公に戻り、しかも安倍さんといわれても、もう先に行きたいと願います。

それにしてもTVをはじめ、マスメディアの報道の劣化には悲しくなります。政治-政治家、企業-経営者、マスコミ関係者、そして国民-私たち、の劣化、それでも今や最大の権力者となったメディアの報道の先見のなさ、そこへ出てくるのは、提言はなく、比べてコメントするだけのコメンテーター、この20年の責任をとってひっこむべく御用学者ばかりとなると、維新ほか第三極とやらに「まずは壊せ」と大戦末期の日本のような思考にならざるをえません。

 

 

高速道路の事故がありました。責任追及は当然なのかもしれませんが、環境が激変しているなかで科学技術文明など、決して、安全が100パーセント保全されたものでないと思うべきでしょう。原発で身にしみたのに…。

共産国との対立のなか、アメリカに蹂躙されず、アメをもらったのが、ここまでひきずられて、日本の国の根本的な問題です。そのアメが、教育もだめにしつつ、史上まれにみる平和な戦後の67年間だったのでしょう。日韓併合は韓国のうらみを買ったのに、米日併合には、日本人はマヒしてしまった。アメに甘えてしまったつけが、これからもどんどんきます。ローマも江戸も、こうして終わったのでしょう。

援助のもので生きる。アメリカの援助で、国の援助で、官僚も政治家も、土木も農業も地方も税を使いまくってきました。どこまで将来のために投資になったでしょうか。一番ひどいのは日本の銀行ですが。

未だに既得権を離さない人が、将来をだめにしていきます。保守-安全第一、死から遠ざけられた日本人を3.11は変えることができたのでしょうか。

 

「今を満足しよう」というのは大切ですが、それは将来により大きな満足を残すべきためであるのに、「今がなければ将来もない」というのが幅を効かし、「将来のための今」を考えなくなったのですから、将来が悪くなるのは言うまでもありません。

これは、例えとしての母性、女性的なものが優勢、男性、父性的なものの劣化です。戦いとはいいませんが、死を賭けず覚悟なくして変革はなしえません。腹のくくり方が問われています。

新しいものを切り開いていくフロンティアあってこその、果実だったのに、皆で果実を仲よくくらって減らしている、それは幸せですが、自立ではありません。

 

それぞれが独自のスタイルで、それぞれの考えや価値観で自由に生きるのは、こういうことではないと思うのです。

日本人にはそれぞれのふるさと、文化、風習、しつけ、職、生き方があったからこそ、明治維新後も、つい20年くらいまえまで強かったのです。ただ、それはアメリカに担保された平和でした。

テレビやスーパーやコンビニやユニクロは、全国の街を同じ風景に同じ考え方にしていきました。(ユニクロの柳井社長は「まず稼げ」と、もっとも本質的なことを叫んでいるのではあるのですが…)

私はそれが嫌で、昨年まで海外によく行きました。国内にも異なるものをみつけに、よく行きました。今年は、はじめて動かなかった一年になりました。

この‘国難’に対しては、“自立した個人”の育成、日本人の鍛え直しこそが唯一の対処法であるのは疑うすべもありません。

 

政治や思想の表明をするだけで、人々から、メディアから敬遠されるのが今の日本です。アーティストもタレントも批判を受けないことしか、言わないし批判されるとすぐにひっこめます。まわりの人を敵にまわしたくないからです。

一方、ごく少数ですがそういうことに負けず頑張っている人もいます。どうか関心をもち、エールを送ってください。

日本人は皆、右へならえでしたが、ますます均一化しているように見えてなりません。そして、テレビなどのメディアに出つづけている人をすごいと思うのですね。自分の思想をもち表明するといったことを何もしないから無難であるゆえに出続けられるのに…。

自分の考え方をもたないこと、表わさないことが美徳だった時代は、終わるべきです。さもなければ日本が終わります。

もう、「いいね」でなく、「いやだね」にのっかるべきです。否定するのは、勇気と覚悟と責任がいります。他の人と気まずくもなるし、そこにも居ずらくもなります。しかし、その勇気をもち、批判、非難を甘受し、自らを鍛えるのです。「なぜいやか」、「だからどうしたいのか」「だからどうするのか」それを実践していいくことこそが、あなたがあなたである証明です。そのために、数合わせだけでしかない友だちとやらをいくら失っても、いつか一人、二人の盟友を得られたらよいと考えてみるように、と思います。