大谷翔平選手が、アメリカ大リーグ選手会のプレイヤー・オブ・ザイヤー、ア・リーグの最優秀野手、またスポーツメディア、ニュースの年間最優秀選手にも選ばれました。メジャーの選手184人の投票で、56%の支持です。
こうした世相において、今シーズン、大谷選手の活躍は、まるで希望の光のようでした。本当に皆を喜ばせ、気持ちよくさせてくれた、ホームランも豪球もただ見ているだけで、繰り返し感じ入ったのは、初めてです。一人でオリンピックや世界選手権、ワールドカップを制覇したようなものです。もっとも複雑に組まれたスポーツである野球が、1人の超人により、ただシンプルに、速い球を投げる、棒で球を打つ、それだけで見せ場となったのです。
明日の日本の選挙とは、こうも違うのかとか言ってはみますが、また衆議院解散時の万歳の回収場面を当選者発表で決まりきったように行うのでしょう。
昨日ここで取り上げたフランスのゼムール氏がモデルとする国は日本だそうです。移民を受け入れていないから発展しているというのでしょう。人口も減りゆき移民も入れないと、どうなるのか、土地は海外の富裕層に買い占められていくでしょう。高度成長時代に起きたことを裏返してみると、よいヒントになりましょう。
さて、争点を大した議論もせずスルーしてきた総裁選に続く衆議院選挙ですが、議論そのものについて、触れてみます。
議論には、ルールをふまえておくことが大切です。
原則として
1.自論を絶対正しいと思わず仮説としておく
2.相手に発言させる
3.論拠、事実で判断する
経験と体験
経験は時間、体験は空間ともいえます。ともに概念化された見聞です。すでに今のリアルではなく過去のことです。つまり、議論には、使える材料にはなりますが、絶対的ではないし、個人的経験で個人的な現象に過ぎないのです。自分が五感で認識した現象に過ぎないともいえます。
正しさと私
正しさというのは、その根拠づけによります。一般的なものであって、「私にとって」ではありません。なのに、それだけで判断してしまうようになっていきがちなのです。
本当は、「私にとって」どうだったか、それが「私」には大切なのです。
モルヌピラビル