孤立とは、見捨てられ感なのです。
それは、身体性の欠如によって、もたらされています。
肌感覚での、人とのつながり、絆と癒しが必要です。
それは、寛容さ、親切など、人とのスキンシップからでしょう。
現代の教育は、触れる世界から、みる世界に変えることといえます。
他の人に共感して同調しているような子どもに、
頭だけでわかるようにさせていくのです。
それは、ある面では、高次にすることです。頭がよくなり、早く情報処理ができるように
なることです。そして、既存の知識から答えを検索して早く出せるようにするのです。
そのために言語を基に区別していくのです。触らないとわからないところから、触らなくてもみてわかるようにしていくのです。
それに対して、社会やコミュニティは、そうした言語での区別を取り去り、
共感、同調を求めています。
わかっているつもりのものをもう一度、見直したり、見てわかったつもりのものを、触って確かめたりしていくのです。つまり、低次とは言いませんが、広げていくのです。頭から全身に、他のものにも、です。
だから時間がかかります。みる世界から感じる世界に戻していくともいえます。身体性を取り戻すのです。頭のことばを切り、心身の声を聞き、伝え合うのです。