fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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程度問題と二極化 裏金問題

「相対的、程度問題、二極化しない」

というようなことばは、

私もここでも、度々、使ってきました。

つまり、

正誤ではなく、程度だ、

間違いでなく、足らないだけだ。

 

問題としてとりあげることがおかしい、

問題とすべきかどうか、しっかりと見究めるべきだ。

問題としているのが問題だ。

 

ここでのテーマの一つでもあります。

 

レクチャーでもカウンセリングでも、

正直に言ってきました。

すると、相手の不満な感じが伝わってくるのです。

「はっきりと断定してほしい」

「問題はなんで、それはどうすればよいのですか?」

 

で、こういうことを知っておいて欲しいのです。

 

 

◯裏金問題追及の盲点 

<衆議院選において、自民党派閥の裏金事件の報道が続いている。いわゆる「裏金」問題は、相対的には些細な問題である。この「相対的には」という考え方を欠いているのが、今の日本における大きな問題だ。

世の中にあるほとんどの問題は「程度問題」である。

その「程度」を完全に無視し、ゼロかイチか、セーフかアウトか、という議論をするから、ギスギスとした攻撃的口調が先鋭化する。 

よく日本の政治家や官僚は、自分たちの行いを「一定の効果があった」と正当化したがる。しかし、「一定の効果」と彼らが言うとき、それは実は「ほとんど効果がなかった」と翻訳すべきなのだ。 

毛が3本しか生えない育毛剤は「一定の効果がある」育毛剤ではなく、「ほとんど効果がない」育毛剤、と解釈すべきである。「育毛剤」がポリコレ的に問題なのであれば、「血圧が1mmHg下がる降圧剤」でもよい。それをデジタルに「ある」と解釈するのが間違いなのだ。政治家が裏金をもらうことは、「よい」「悪い」というデジタルな言い方をすれば「悪い」に決まっている。しかし、日本の政治家が論ずるトッププライオリティではありえない。

相対的にはもっと論ずるべき問題が山積みである。経済や安全保障、人権といった諸問題に比べれば「裏金」は些細な問題に過ぎない。 岩田健太郎>