渡辺はま子さんは、私が評価している日本の歌い手の一人,こんなエピソードがありました。
いまさらですが、歌い手とは,歌と同じく、時代と共に生きるのです。
歌っているばかりではないのです。
◯「昭和歌謡 渡辺はま子 波瀾の歌人生〜戦争と向き合った魂の歌声」BS171( 7/28)
<今年も終戦記念日がやって来る。いまや世界の先進国になった日本だが風化させてはいけない悲しみや苦難の日々があった。戦前戦後を通じ多くのヒット曲を出し、昭和歌謡を支えた渡辺はま子は戦争に翻弄されながらも歌で人々を励まし続けた。
母方の祖父はアメリカ人。音楽大学で声楽を学び、卒業後は高校の音楽教師,そして流行歌の歌手へ。
昭和9年初のヒットは、ハンセン病をテーマしたラジオドラマの主題歌「ひとり静」。療養施設への慰問コンサートを始める。
昭和11年のヒット曲「忘れちゃいやヨ」は、歌唱方法を当局からとがめられ発売禁止。
戦時歌謡「愛国の花」が大ヒット。戦地慰問活動にも積極的に行い、歌声を兵士たちに届け、終戦は慰問先の中国大陸で迎えた。日本兵捕虜と現地に留まり、歌で彼らを支えた。
戦後は、美貌美声で活躍するが、胸にあったのは国威発揚の一翼を担った贖罪の思い。福祉や社会貢献活動を続ける中、フィリピンで捕虜となっていた日本兵が作った歌「あゝモンテンルパの夜は更けて」を知ると、レコーディング。救出運動で108名の命を救った。渡辺はま子の歌人生を通して、戦争の愚かさ、平和の尊さ、歌のすばらしさを紹介します。
※渡辺はま子 1910年ー1999年12月31日没、89歳。
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「あゝモンテンルパの夜は更けて」
渡辺はま子、宇都美清がデュエットしてヒットした。1952年ビクターレコードから発売。作詞:代田銀太郎、作曲:伊藤正康、歌唱:渡辺はま子、宇都美清
<1952年1月、来日したフィリピンの国会議員ピオ・デュランからモンテンルパ市のニュー・ビリビッド刑務所には、元日本軍兵士が収監、すでに14人が処刑されたと聞かされた。終戦後7年も経つのに、受刑し続け、死刑を待つだけの人達もいると聞いた渡辺はま子は、鳩居堂から香を送った。
1952年6月、「モンテンルパの歌」の楽譜が自宅に。作詞代田銀太郎、作曲伊藤正康と。代田は、元フィリピン憲兵隊少尉。伊藤は、元大日本帝国陸軍将校。共に戦争犯罪者としてマニラ軍事裁判で死刑判決を受けていた。
『あゝモンテンルパの夜は更けて』は、20万枚のヒット曲となる。
1952年12月、渡辺は、ニュー・ビリビッド刑務所を訪れた。
1953年7月、同曲をおさめたオルゴールを贈られていたフィリピン大統領エルピディオ・キリノの独立記念日特赦によって、戦争犯罪者108名全員の日本への帰国に。(Wikipedia編纂)>