<「天下の無責任男!〜植木等とその時代〜」
植木等の無責任男を見ました。
植木が、父にそのような歌を出していいのかと聞くと、
「素晴らしい、素晴らしい歌」と言われたそうです。
この映画は、1962年7月から30作、1971年に終わるのです。
私には、高度成長期とバブル期が、かさなるのですね、
で、それをリバイバルでヒットさせたのは、
大滝詠一さんでした。
植木のことを憧れていたそう。
メドレーでのスーダラ伝説を発売。
1990年11月で、すぐの紅白歌合戦にも出場。
植木等氏は、とても真面目な人だったというのが、わかります。
それに対して、その父の器の大きさは、どうでしょう。
昭和以前の人物は、大きかったのでしょう。
<「わかっちゃいるけどやめられない。」
天下の無責任男!〜植木等とその時代〜
NHK初回放送日:2024年7月8日
「こつこつやるやつぁごくろうさん!」1960年代、高度経済成長のさなか、突如現れた“無責任男”。植木等演じるハチャメチャなサラリーマンが何の苦労もせず、すいすい出世する娯楽映画だ。しかし当の植木は、無責任男という役柄にとまどいを感じていた。だれもがモーレツに働いた時代、なぜこんな男が受けたのか?映画を製作した東宝社内の主人公のキャラクター設定をめぐる衝突や植木等本人の知られざる葛藤に迫る。NHK>
<「スーダラ節」
ハナ肇とクレージーキャッツ、とりわけ植木等が人気を得るきっかけを作った曲で、作詞は青島幸男、作曲は萩原哲晶による。レコードは1961年8月20日、東芝音楽工業(ユニバーサル ミュージック合同会社)から発売。累計売上は80万枚。
レコードの原盤は渡辺プロダクションが制作し、東芝音楽工業は販売のみ担当。芸能プロが初めてマスターテープを制作したレコードである。
元々は「こりゃシャクだった」のB面を埋めるために作られた曲であったが、後にA面とB面が入れ替えられている
浄土真宗の僧侶である父の植木徹誠から「『わかっちゃいるけどやめられない』は人間の矛盾をついた真理で、親鸞の教えに通じる」「必ずヒットするぞ」と励まされた
植木自身は「こんな歌がヒットするようでは悲しいなぁ」「冗談じゃない」「こんなのがヒットするってことは、俺が考えてる日本と本物の日本は違うものなのか」と思い悩んでいたと言う
1962年には大映(現・角川映画)で『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねえ』が製作。
1990年、植木等およびクレージーキャッツのヒットメドレー「スーダラ伝説」(編曲:宮川泰)が植木の歌唱で発売され、オリコンチャート最高10位を記録。歌手としても23年ぶりに紅白歌合戦出場を果たし、『第41回NHK紅白歌合戦』歌手別視聴率で男女1位となる56.6%。(Wikipedia編纂)>