東日本大震災13年目、鎮魂。この「東日本、今更ですが、広すぎるネーミングです。
「白い巨塔」第20回、(3/10tvk)高等裁判所での控訴審判決と財前教授倒れる。
ドラマではありますが、昭和には、こうした清濁超えての社会変革への意思や正義、友情などが息づいていたし、よくもわるくも、よりよい将来への努力とそこに生きる人間のドラマが、暑苦しいくらいにありました。
つまり、今よりもひどかったし身に降りかかることも多難でしたが、それを超えていこうという人間のエネルギーが至る所で、強くうごめいていたのです。
◯政治不信
街頭インタビューでの政治家批判
<「今の場合は、何かでお金をせしめて、それが先にあって、目的がハッキリしないんじゃないかと。昔はそうじゃなくてお金を使って国民を納得させて、こういうことを世界でやりたいというのが政治家のあるべき姿」(90代)
「昔の人は派手にやりながら、社会貢献を含め、やってた感じは伝わってきたんだけど、今の人は、個人の欲望のためだけになってるような気がして。」(60代)>
(ビートたけしのTVタックル3/10)
昔の政治家は、悪いこともやったが、よいこともやっていた、というような批判です。
皆、よくわかっているのですね。
機密費も旧文通費やパーティ券なども、国民には理解が得られないが、本当に将来の日本にとって必要なことやよいことをするには、表に出せない支出もあるし、人も動かさねばならないし、うまいもんでも食わんとやっていけんでしょうから、ちょいとは役得を、などというものでもあったわけです。
仕事のできる社員は、人一倍、経費も使う、
経費をまったく使わないが仕事をしない社員は、ただの穀潰し#、
仕事もできないのに、地位だけ得て金ばかり使う社員、これが今の政治家でしょう。
一方で、こうしてしまったのは、何か。
今や、クリーンが求められすぎて、結局、実力のない奴、自腹を肥やす奴しかいなくなっているのでしょうね。利権にしがみつき、世襲された地位を失いたくないばかりに、汲々としている連中だらけ、と言いすぎておきます。
この際、どんどんと内外の告発、スクープで、生まれ変わっていくことを望むばかりです。
#ごくつぶし
穀物の穀を潰す。 穀物を無為に食いつぶす者、ぶらぶらと遊んで暮らす人。