◯日本での二極の合体
パーティ券も日大の内部隠蔽も、その後の対応も、
日本では、村社会の従来の慣習の悪いところが、
依然として残っています。
そこでの成功者が、まだ牛耳っているからです。
それに加え、グローバル化の悪いところが合わさったのが、
どうも、この格差社会の実態のように思えてきました。
その二つのよいところだけを新たに組み合わせて
使えるようにするような想像力と実行力を
なぜ、私たちは、なくしたのでしょうか。
時代に翻弄され、世界の動きに振り回されているだけの体ただく、
目指すべき理想を失ったのでしょうか。
少なくとも、昭和のある時期までは、大きな理想を掲げ、実行に邁進し、
憧れの対象となった模範となる大人物#は、数多くいました、
マスメディアの伝えるなかにも、身近にも、いたのではないでしょうか。
人の道は、仕事、人生の使命は、みえていたのです。
うん、少なくとも、みえていたつもりでいられたのです。
もちろん、その時代と比べ、今の方がよくなったことは、たくさんあります。
その頃には、とても酷かったことも、たくさんありました。
謂れのない差別、偏見、人権侵害など、今の比ではありませんでした。
大人物の多くも、今であれば、スキャンダルにまみれて失脚していたでしょう。
まあ、ヒーローが出る時代、求められる時代よりは、
そういう存在がなくとも、成り立つ社会がよいとはいえますが、、、。
ただ、後世を考えると心配です。
日本では、有史以来、男時女時#の繰り返しでしたね。
平成は女時、令和は男時なのに、
これでよいのかと思うのです。