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◯山崎まさよしさんステージ謝罪

山崎まさよしさん茨城公演の返金

例の騒動です。トークばかりで、歌ったのは、8曲、

「歌うのしんどい」「俺は歌いたくない」を連呼、演奏もよくなかったそう、

つまり、やる気もなく、ぐだぐだだったとか。


<お客さんには、「金返せ!」という権利がある。

アーティストは、チケット代に見合う『対価=芸』を確実に提供すべき、>

との論調が、主流です。

本人も事務所もそれを認め、返金、謝罪をして、

次のステージから全力プレーに戻ったそうですから、

一件落着。外野からは、言うこともありません。

茨城でのお客さんには、一生に一度と、相当、無理して楽しみにきたという人も多かったでしょうし。

 

ただ、ライブでの作品が、パッケージされて品質保証されていなくてはならないようにみなされていることには、一言、言いたいのです。

ディズニーランドとは、違うのだと。

 

そういう見方になると、アートやライブというよりは、

全員をそれなりに満足させる、価格相応に、という計算が先走るからです。

もちろん、メジャーになったアーティストは、それもできたからこそ、メジャーになりえたのであり、多くのお客には、コンサートは、エンターテイメントなのでしょうが。

歌唱をみるより人間をみる傾向の強い日本では、MCでの一体感、

安心安全なステージと、品質保証が求められる傾向が強いのです。

そのため、予定調和、どうしても、どれもが似たようになりがちです。

過去の作品、思い出にとらわれ、日本語でのわかりやすく、

大ヒットしたもの、誰でも知っているものが受ける、

それだけを期待する人も多いのです。

 

私のように、これまでにないもの、新しいもの、現在や未来を切り取ったもの、

わけのわからないもの、あるいは、予想もしない一曲の、1フレーズ、

アーティストの一言、一声を期待するのは、

日本でいう、お客さんではないのでしょう。

8曲で30分でも質が良ければ充分すぎる、と思うのです。

 

その日は、人間性トークもダメだったそうなので、批判は仕方ないでしょう。

ファンなら、それも受け入れ、そんな山崎さんは、滅多にみれない貴重な機会、お得だとはなりませんかね。

 

 

< さだまさしさんは「おらがもし『今日はしゃべりたくない』と言って、歌しか歌わなかったら払い戻しさせられるのか?今日満50年」とつづり、「グレープ」としてデビュー後50周年の記念日祝。>

<「今回のライブツアーは9都市10公演。1公演でおおよそ1000人前後の集客を想定。茨城公演のチケットの売れ行きは苦戦し、当日券を発売、それでも本番で客席は、埋まらなかった。山崎さんは少なからずヘコんだと聞きました」

沢田研二が2018年10月、当初聞かされていた観客数から減ったことを理由に埼玉公演の開催をドタキャンした。「客席がスカスカで開催するのは酷。僕にも意地がある」と釈明した。東スポWEB11/3編纂>

 

 

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