fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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アナログとデジタルに関するエッセイ ギャラクシー賞

マイナンバーで、デジタル化を拒む、国民と政府の思惑を触れました。日本人は、目に見えて触れられるものが、好きなんですね。いわゆるアナログ好き、国民性というか生物としての真っ当な感覚です。金融やITには向いてないんです、偏見ですけど。

 

昔、「チェスはデジタルだからAIに勝てないけど、将棋はアナログだから人間は負けない」と豪語した知人がいて、そいつは10年前にも「自動運転は実現不可能」と講演会で断言した程度の奴でしたが、私は今も手帳とポスト・イットで管理、原稿もペンで手書きの、知的生産術では「アナログ」派と言われていました。これは音声入力です。こうした使われ方があったということで。

 

◯アナログ復活?

先日も、絵画というのをアナログとみると、言葉はデジタルとアナログ、どちらかなとアホなことを考えていたところ、

チコちゃんに叱られる!」5/12で、「絵というのは、イメージして具象的に描くために、言葉が必要だ」と教えられました。

結局、人間が文化的に創造するものは、ある意味でデジタルとも言えるのかと。

 

声はアナログですが、文字となると、ビットで表せるし、音声も伝送処理にデジタルが使われる、電話ではインターフェースでアナログに戻す。とはいえ、処理済で、本人とは別の音声です。

レコードも記録様式でアナログといえ、生とは程遠い、というか、このあたりは、人間の聴覚に関わってきます。

脳の認知機能を「デジタル的」に捉えられる人が、AIで人間の情報処理能力以上のものにしてきたのです。

 

人間が文化的に生み出したものや作り上げたものは、自然の模倣で自然そのものでないところにおいては、ある意味で、デジタル処理されていると言えなくもないのでしょう。

 

結局、対象が何ではなく、その処理の仕方、伝送をどちらにもっていくかと言うことでの区別です。となると、先のチェスと将棋のような話、これはアナログでの程度問題。

量子コンピュータまで出ると、この区別は、観念論か、もはや不要になるようにも思われなくもないのです。

 

レコードがまた見直され売れてきている、のようなことかと思う人もいたことでしょう。

ノイズがいい?劣化だよ、生演奏とは違う、スピーカーでの違いの方が大きい、というリアルは飛んでしまうのです。

 

さて、今の世界は、電気がなくては、何をするにも不便で、天災や戦争で送電線が切れたときに、その悲劇的状況はすぐに現れるわけです。

すごく大まかに、その知人と同じくらいのバカ承知でいうと、電気用品がデジタルって考えるとわかりやすいんだけど、あっ、対象でなく処理なら、電気か。

 

金曜日のテレビドラマで「ペンディングトレイン」が、今放映中ですが、つくばエクスプレスの電車の一両が、電波の届かない未来の荒廃した世界に、乗客たちとともにワープしてしまう。もう、再ワープしたみたいですが。

あるいは、アメリカが日本を締めにかかってきた頃に、その流れと逆行してヒットした、フェデックスシステムエンジニア役のトムハンクスが一人、無人島に流れ着いての生活の映画「キャスト・アウェイ」。ロバート・ゼメキス監督で2000年。

 


◯「第60回ギャラクシー賞」(放送批評懇談会主催)の贈賞式。5/31

テレビ部門の「大賞」は、『エルピス-希望、あるいは災い-』(関西テレビ放送)です。入賞作は、全部で14作品。9本は、ノンフィクション系、残りの5本がドラマです。

『カムカムエヴリバディ』(日本放送協会

『あなたのブツが、ここに』(日本放送協会

『鎌倉殿の13人』(日本放送協会

『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ放送網

ノンフィクション系では、文化庁芸術祭賞で「大賞」受賞のBS1スペシャル『正義の行方~飯塚事件 30年後の迷宮~』(日本放送協会)など。

 

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