昨日、「経験の盲点」で展開したのは、私のことなどではなく、(私がちょこっと成績などで優秀だったのは、小5くらいまででしたのであてはまりません。)
日本のエリートが、ずっと、同じ体質のまま、変わらないことへの示唆でつなげます。
「ビルマ絶望の戦場〜“忘れられた戦場”最後の1ヶ月」(NHK8/15 22:00〜)からの引用です。
「日本軍指導者たちには根本的な欠陥があるように思える。それは道徳的勇気の欠如である。彼らは自分たちが間違いを起こしたこと、計画が失敗し練り直しが必要であることを認める勇気がないのだ。」(イギリス軍スリム司令官)
日本の兵隊からも
「芸者を中心とした高級将校の乱脈ぶりは目を覆うものがあった。逆境のときの人間の犯す誤りは、何か日本人の欠陥を見る思いである。」
「軍人の世界には誠のみが支配すると信じていたが、正義以外のものがまかり通っていた。特に軍規の退廃に至っては、欲望の醜悪さのみをさらけ出していた。」
「司令部は、己達のみ逃げ去っておきながら、、、、、、こんな矛盾した考えがどこにあろうか」
第二次世界大戦の後期、日本の損害は5分の1に、戦果は6倍に修正されて、発表された。(別の番組より)
そして、この体質は、変わらない、戦後からしばらくは、アメリカのようにフェアな方向にいくようでありましたが、特に安倍政権下で元の木阿弥と化していくのです。アメリカも似た傾向になりつつありますが。
まあ、たまに、思い出、昭和、小中学校の頃、、、、
◯芸術との遭遇
思いがけない何かに遭遇する経験は、芸術によってもたらされることが多いです。でも、何をもって芸術とするのか、個別体験に負うものであるのは、確かですが。
私は昔、京都への修学旅行のとき、最初に歩いた小路の塀の小さな飾りに、班の皆で立ち止まり、見とれたものでした。こんなところに細工がしてあると感動したわけです。
そのおかげで、というか、そのせいで、その後に、名所名跡もまわりましたが、その時の感動ほどのものを受けませんでした。
その飾りはどこであったのか、もうわかりません。このことは、その後、話題にもならなかったのです。きっと、今見たら何の感動も与えないものだったのではないかと思います。
中学生の遠方旅行で、何か凄いものと出逢うのでないかというような盛り上がった期待が、グループという集団催眠のようになり、それだけの感情移入させたのでしょう。
◯古文書と宝石
似たような経験として、小1の頃、空き地で拾ったガリ版の宮沢賢治の詩があります。今となれば、学校の先生の作った教材だと思いますが、そのときは、それが古文書のように見え、もしかして何百年も前の、(宮沢賢治ですからそんなこともないのですが、)受け継がれてきたようなものに思ったのです。そこに書かれている詩は、雨ニモ負ケズ、だったのですが、とても心に染み込んできたのです。気分は、まだ知らなかったけど、まさしくシュリーマンだったのです。
その他、工事現場で見つけた、拳大の水晶も、感動的でした。子供心というのは恐ろしいもので、それ以降どんな宝石を見ても、そのときほどの驚きは得られませんでした。