fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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「日本人論」 2012/01/08(010)

  「拍手しすぎる日本人 行列してまで食べないフランス人」著者の芳賀直子さんは舞踏研究家です。小学4年生での帰国子女だそうです。かつて私が述べていたのと同じような切り口でしたので、自分をみるように読んでみたところです。
・外タレ天国日本、日本人は甘くみられている
・ブラボーやスタンディングオベーションをやりすぎ
・日本人の受けるところの的はずれ
・拍手のタイミングの違い
・ブーイングや途中退席がないこと
・「自分は自分、人と違うことが重要」ではない
・感動のランクがない
・反論したら人間関係にひびが入る、話題転換できない
・批判記事を書かせないメディア
・参加、会うこと自体にに意味を見い出す
・ジャーナリストのインタビューの稚拙さ(とプロ選手の答えも…)
・でも日本の伝統芸能では批評眼ある
・ブランド重視、他人の評価は定まったものとしてみる
・行列のできる(美術展)
・エレベーターであいさつしない
・内容より入場者数で成否を判断する(2003年指定管理者制度)
・大人になりたくない日本人、若く見えることが大切。
・美魔女批判
ツイッターなども聞きたいものしか聞かない

 これは私が勝手にまとめたので半分は正しいのですが(そのまま)、後の半分は違うかもしれません。
  音楽の舞台について、私は似たことを述べてきたのですが、私の場合は
・ビジュアル優先しすぎのための耳での判断力の退化と時代はますますビジュアル重視へ
 という観点から、こういうことについて、ヴォイストレーニングをする立場で、表現者である人たちと接しているための発言ですから、本音では少し違うところもあります。

 文化について語ることは、日本のようにその批評の方法そのものを欧米の手法で行なうと、文字も語学も、必ずズレます。私が相撲をスポーツとして批判することの批判をしたようにです。
 欧米人としてみてしまう自分というスタンスを疑うことがまず必要なのです。上記についても「日本の伝統芸能において批評眼がある」というのならよいじゃないのということです。きっとそういう“通”の人がみたら、あこがれでみるだけの人と反応は違うでしょう。一般の人がどう思おうと自由で(この自由というのは自分は他人と同じ、人と同じというのも一つの立場という)何でもいいし、何でも感動できるなら、それは素晴らしいことともいえます。
 私は音楽については仕事にしてしまったために、失ったものもあります。得られたものもあります。
 いつの時代も通といわれる人はひとにぎり、あとは一般の人々です。私は、筆者と違い、一般の人には特に意見しません。
 とはいえ、私も、主に次の点は指摘してきました。
・日本人は舞台芸の内容やでき具合より知名度や人気でみる。
・芸そのものより会うことが目的化しやすい。
・芸術よりイベント化している。
 日常にその芸がない生活では、イベント化するのはあたりまえです。私たちは欧米人ほど欧米の文化の中で育っていないのですから。
 むしろ、いつも日本人にいわれていることして批判精神がプロであるべきジャーナリスト、マスメディアにないこと。この本では演出家、インタビュアーにそれがないことが出ています。
 私の反論としては、行列してブランド店に並ぶ日本人が必ずしも愚かでしょうか。エレベーターであいさつしなくても、危険な目に遭う心配を全くしなくてやっていける日本は不幸でしょうか。
 私も欧米にあこがれ、欧米的な見方で日本人をみてきたこともありましたが、文化や食事において日本人は決して欧米にひけをとっていません。むしろ日本の価値を今ほど彼らが認めているときはないでしょう。そういう現実とそれはどうしてでしょうかということです。
 アメリカ人が世界中の高級ホテルへジャージやTシャツで入るようになってから数年もたたないうちに高級ホテルもそれをOKとしました。一つ何かが得られ一つ何かが失われました。

 日本の何でも受け入れてしまい、いつの間にか消化して、自分たちにとってよりよいものをつくってしまう体質?は、欧米の人たちにはわかりにくいものです。
 今の日本の社会、文化、芸術、スポーツでは、結果として、日本独自のものを発展させつつ、欧米のものも吸収して国際レベルに人材を輩出しています。
 バレエも客のレベルよりも、世界に通じるバレリーナが出てきたのですから、これからでしょう。客の目が肥えていくかどうかは問う必要があるのでしょう。
 「つまらないものに感動して、大金を払って」というのは貴族の特権ですから、それ(日本人のお金)で欧米のアーティストが助かっているのなら悪くはありません。私からいうのなら、どうせなら日本のものにお金を使ってよ、ということなのですが。
 AKB48の興行スタイルが、世界に発信されています。私はオタクの応援スタイルが欧米でまねされているのに少なからず感動しました。アーティストだけでなく、これまで欧米的なスタイルでの応援しかできなかったのが日本の観客です(クラシックやロック、などだけでなく、サッカーや野球でも、向こうの応援のよいところも悪いところもまねていました。)。ところが、日本の観客が創造した振りつけを彼らがまねしているのです。
 韓国のアーティストや欧米のアーティストを比べる必要はないと思います。日本のは「大人になりたくない日本人」の生み出した文化なのです。
 はい、職業柄、これは時代についていこうとする私のポジティブ志向から出た見方です。日夜行なうことは、日本も欧米も世界もなく至芸としての声や歌の指導ですから、その立場ではAKB48は、まだ視野の外ですが。
 行列は、欧米では必要悪ですが、日本では悲惨なことではありません。ディズニーランドのように楽しみの前菜なのですから。日本の場合は他国と違い行列は、時間と金のある豊かさの象徴です。
 私は行列には並びませんから、これも一つ得て一つ失っているわけです。