fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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戦後77年 たまたまの平和のストーリー再編を

◯沈黙

戦争について、日本人には、あまりに悲惨だったため、多くの軍人は、戦後、語りませんでした。亡くなってから、日記などで本音がわかることもあるようです。

 

先日、TV番組で、中島飛行機の大型爆撃機富嶽」計画で、

コメンテーターが「戦後の平和利用を考えていたのでしょう」と、

いかにも番組を無難に締めくくろうとしました。

それに対し、当時の設計者を知るゲストは、即座に

「それほどね、ゆとりなんかなかったと思います。

いや、それはね、わたくし、ちょっといいですか、、、、
戦争中のことは、決して語ろうって、(しなかった)、、、、、、、、

もう飛行機は絶対やらないと決めた方もいます。」と。

[「昭和の選択 太平洋戦争 幻の航空機計画〜軍用機メーカー中島飛行機の戦争〜」NHK BS103 8/3   、、、は、中略]

 

国が滅びるかもしれないときに、航空機産業の未来を夢見て、なんてわけはないでしょうに。平和な時代しか生きていない人間が、語られたことだけで、決めつけたり浅はかにまとめたりしてはいけないと、深く思った次第です。

 

◯ストーリーに躍らされないこと

このブログで再三、述べてきたことの1つは、戦争の映画やドラマが、戦中下でも、

いかにも「自分たちの志や思いが、戦後復興、平和になった日本の将来のためになると信じて死んでいった」と、いうようなメッセージについて、です。

それは死者への花向け、美談化であり、そうしないとストーリーが完結しないのもわかります。

しかし、それは、「負けると家族や知り合いが悲惨な目に遭う、そんなことが少しでも起きないように」と命を賭けた、いや、そのことさえ考えられなかった、戦況悪化の中、「一発逆転、一矢報いる」など、

それらさまざまな想いを理解した上で、成立するフィクションです。

 

戦後77年も経つと、私たちは、そのストーリーのメッセージをそのまま事実と鵜呑みにしかねません。まして、若い人なら、。

当時、飢えるより戦争に行きたいとか、敵を殺しまくりたいとか、国のため天皇のために殉じたかった人も、いたでしょう。

戦後、そんなことは、言えない状況でした。いや、今も言えないでしょう。

開戦時にマスメディアに煽られ、心から万歳と喜んだ人も、いたはずです。でも、戦後は、「オレは反対だった、勝てるわけないと思っていた」などと言うのです。

良心的な人は黙るしかないので、言った人の言葉だけが伝えられます。それは、事実と扱われ、証言シリーズとかになります、

とても大切な記録ですが、もっと重要なのは、語られないことについてです。

そこへのイマジネーションです。

 

「軍部の暴走で国民は巻き込まれた」「奸臣東條英機が独裁的に動かし国を滅ぼした」など、戦後のメンテナンス的なストーリーはさすがに崩れていますが、それを信じて生きている人もいます。

一言で括りようのない、あまりにも多くのことが生じていたのです。

 

たまたま、豊かな国アメリカが一国で占領し冷戦開始に恵まれ、

日本は無条件降伏したにも関わらず、大半が平和に移行したわけです。

あのとき、ソ連に北海道から東日本を占領されてしまえば、すべての資材は向こうに運ばされ、男子はシベリアなど強制使役にひっぱられ、女性子供もひどい目に遭っていたでしょう。ベルリンや大陸からの引き上げの話を聞いたらわかろうものです。次の戦争で駆り出され前線に送られることさえあるのです。

この平和は、奇跡的に、たまたまの国際情勢のもたらしたもの、です。

 

ロシアは残虐というのが、ウクライナ侵攻での教訓なのでしょうか。

これまでのアメリカの侵略での犠牲者数は、比でありません。

もちろん一人の犠牲者でも痛ましいこと、許せないことには変わりありません。

 

日本は天皇のもとで従順に降伏したから、アメリカの政策で平和になったのです。

他の国のようにふつうに抵抗してゲリラ内戦になっていたら、ベトナム、シリア、イラクと同じようになっていたでしょう。いえ、国土は、ほぼ焦土になりました。

 

日本人は、戦時体制から解放され、自由になったことに喜ばされ、負けた原因と思う物質的豊かさを求めて経済成長に邁進しました。

アメリカの日本人精神支配の戦略に気づかされずにー

 

戦争ができないどころか国防戦略さえ立てられない国になったのです。

岸田総理のスピーチは、懸念、認識と、いわゆる遺憾砲だけ、

いかに台湾有事の策を練ようにも、どの国もアメリカの動向しか気にかけていません。

 

もとい、戦後のこうしたストーリーから、「軍備を持てば戦争になる」とか、「戦争はやめたら降伏しても平和になる」と主張する人もいます。

そんなに人間が優しいなら戦争は起きません。

 

負の歴史から学んでおかなくてはならないことが、たくさんあります。

親戚や家族、友達同士だった人でさえ、それに巻き込まれると、人は殺し合うのです。

私はそれを革命後のルーマニアからドブロブニクに行った後、ユーゴスラヴィア紛争目前で回避しました。ウクライナとロシアも同じ民族です。

 

ともかく、77年前、日本の敗戦で世界は、一時、平和になりました。

そこから、どう歩んだのか。

この機会に、戦後のストーリーを学び直してみましょう。もちろん、戦前も。

 

 

「語り得ることは全て明晰に語り得る。語りえない者の前では沈黙しなければならない」

(論理哲学論考」ヴィトゲンシュタイン)

そこは、わからないという無知の知です。

 

 

♯国連によると、ウクライナ市民の戦死者数は、開戦から6月末で4,700人。

アメリカは、イラクアフガニスタンでも開戦から5か月間でその20倍以上の殺害。