葬儀でプロの司会をする会社で研修をしてきました。最終日には、先方のリクエストで葬儀場での司会、弔電の読み上げを含む例題を行いました。練習とはいえ、日頃、現場で読んでいる人たちなので、それはリアル感にあふれたものでした。
私は、演出家の眼で、「役者としてなら誰を選ぶのか」「それはどうしてか」と考えていました。そこの指導者の判断基準と比べてみたのです。
役者なら、ここが研修の会場でも、葬儀場にいるように感じさせてくれるでしょう。現実と違い、ここでは誰も死んでいないのに葬儀が執り行われる、誰も参会していないのに葬式がある、と思わせる。つまり、みている人に現場の擬似経験をさせる力がいるのです。それを介して、さらに、ここで伝えたいことを表現することです。
しかし、この研修では、そういう役者のリアリティの現出は必要ありません。この参加者たちは、本当の現場に放り込まれるからです。そこでできたらよいのです。死者がいて参会者がいて、観客はいないのです。司会が滞りなく進行すれば全てはOKです。
弔電の読み上げ、これには、いろんな判断基準があるので、予め聞いておきました。どのくらいに感情表現をするのか、あるいは、淡々と読み上げるのかということです。会社によっても違います。きっと現場ではもっと求められるものに違いがあるのでしょう。
ともかくも、地の文(定型文)に対して、同じようになってはいけないし、まして、棒読みでは遺族も忍びないことでしょう。これは、これで難しいものです。