公私とは、ローティは、公共空間のバザールと私的空間のクラブとして説明しています。オフィシャルの場とプライベートの場ということです。
そして、公私の混同をしないこと、
公私を一致させるという考えも捨てることを説きます。
1人の人間のなかには、正しい建前と正しくないかもしれない本音があります。
これは矛盾するのですが、併存してもよいとするのです。
公共的な正しい言葉と私的な正しくないかもしれない言葉は、1人の人間のなかで共存してもよいということです。
公共空間に露出すべきものでないからといって、
それを描いたり見たりする欲望自体の抹殺は、目指さないということです。