fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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公と私のあいだで(2) 心と感覚はなくてもよい

◯心や感覚はなくてもよい

そこで彼、ローティは、「対蹠人#の思考実験」を示します。

 

#対蹠人(たいせきじん)< [蹠]は、足の裏のこと。足の裏のように正反対の関係にある人のことをいう>

ここでは、宇宙人のように考えるとよいでしょう。

 

「地球人は自分に感覚があると思っているが、感覚はない」というのが、対蹠人の唯物論者です。

それに対して

「対蹠人には感覚があるのに、そのことに彼らは気づいていない」

というのが、地球人の哲学者です。

 

ですから、心や感覚にまつわる言葉がなくても、私たちは、困らないというわけです。

ニーチェの「神は死んだ」というのは、神に、ちなんだ言葉がなくなっていくことを意味しました。神がいなくても、よいということです。絶対のものはないとなったのです。

 

世界には、永遠不滅の心理や究極の本質などはなく、

そのときどきの言葉によって作られる、

ですから、歴史のなかで変わり得るというのです。

つまり、必然ではないから、これは、偶然性となります。