◯心や感覚はなくてもよい
そこで彼、ローティは、「対蹠人#の思考実験」を示します。
#対蹠人(たいせきじん)< [蹠]は、足の裏のこと。足の裏のように正反対の関係にある人のことをいう>
ここでは、宇宙人のように考えるとよいでしょう。
「地球人は自分に感覚があると思っているが、感覚はない」というのが、対蹠人の唯物論者です。
それに対して
「対蹠人には感覚があるのに、そのことに彼らは気づいていない」
というのが、地球人の哲学者です。
ですから、心や感覚にまつわる言葉がなくても、私たちは、困らないというわけです。
ニーチェの「神は死んだ」というのは、神に、ちなんだ言葉がなくなっていくことを意味しました。神がいなくても、よいということです。絶対のものはないとなったのです。
世界には、永遠不滅の心理や究極の本質などはなく、
そのときどきの言葉によって作られる、
ですから、歴史のなかで変わり得るというのです。
つまり、必然ではないから、これは、偶然性となります。