何かを考え、何をしようが、プライベート、つまり、一人のときは、自由で、抑える必要はないし、それは、他の人にも認めなくてはならないということです。
ただし、公的、つまり、他の人のいるときには、別の言動をしなくてはいけない、
もし、プライベートを悪、欲望とするなら、それは認める、そこを浄化するのは、よくない、多分、共産主義や禁欲な宗教組織では認められなかったこと、それを認めないのはよくないという分け方です。頭の中では、どんな酷いことを考えてもよいけど、外に出してはいけないという考えなのでしょうね。
となると、問題は、どこを公共的な場、私的な場とするかと言うことになります。
インターネットやSNSの問題は、そこで混同されているから、これほど多くの混乱が起きているのです。