◯理解と対応
新たな価値観については、皆が、理解するということを、どこかで諦めることも必要かと思います。
「自分と違う人も自分には理解できない人もいるよね、でもいいよね」
というように、目くじらを立てず、お互いに穏やかに暮らしていけるようにすることが大切です。
思いはどうあっても、言動としての差別が出なければよいということです。
田舎のおばあさんに、
「男と男が結婚できるようになった」
と言っても、なかなか通じないでしょう。
だからといって、その理解を求める必要があるのでしょうか。
そのおばあさんの考え方まで、いまさら、時代に合わせて変えなくてはならないとまでは思えません。それで実害がないと思われるからです。
そこは、まだ社会に影響のある地位と権限をもつおじさんたちには、そのままOKとはなりません。
このあたりで、ややこしくなります。
おじさんは、おじさんゆえに、自分のいるところは、どこでも自分の村だと考えがちです。偉くなった人ほど、村の外でも、そのように対応されてきたから、切り替えられないのです。
◯政治家の軽口
ということでは、近頃、本音を口に出してしまう政治家が多くなり、修行不足を感じます。村でこっそり親しい友人にいうようなことを、パーティや取材でも迂闊にいうからです。
政治家が本音を言ったり、本音のままに行動したら、どうなるのでしょう。
日本だからの、村だからの甘え、そうしたところで当選もできてしまい、出世してしまったわけです。
田舎のおばあさんと変わらないのでは困ります。
いや、そうした人の方がよほど機微に聡いでしょう。
これから国際的な駆け引きも厳しさを増すでしょう。
場と分をわきまえた弁論術くらいは、学んでおいてほしいものです。