一昨日、触れた「撤回」と「取消し」、
法と感情の問題に関わることを
少し掘り下げます。
宝塚だけのことでありませんが、
一人、死ななくては、変わらないのか、
変えられないのか、
世間の圧力でなければ、変わらないのか、
世間の圧力が強まれば、変わるのか。
こんなことでは、今後も言葉は悪いですが、
自爆テロ#みたいなことが続くでしょう。
日本でも、ある部分においては、
似たような現状といえるのではないでしょうか。
それにしても、なんとも情けないばかりの対応です。
過去の栄光にあぐらをかいてきた結果?
エンターテイメント業界の闇?
無料でも自腹を切ってでも、やりたい分野ゆえ、
無制限にがんばっている人の多い業界です。
芸人や劇団員の活動を、残業や時間外労働などで
非難するのは、難しいでしょう。
時間や過労が心身を痛めるのでなく、
問題は、パワハラの内容なのです。
そこが曖昧では、遺族も納得できないでしょう。
発足したばかりの食えない事務所ではなく、
一流企業並みに稼ぎ、
そう見られるように成功したのです。
それに応じた対処が求められるのは、当然なわけです。
注
いじめられての自殺をテロと表現するのは、適切ではありません。
テロとは、反社の無差別殺人のような意味合いですから、
動機も目的も異なります。
ただ、いじめられた相手の名前を書いての自殺などというのも
なくなることを望みたいです。
テロで社会が変わるという考えは、危険です。
#テロ
<大勢の無実の人々を巻き添えに恐怖を拡散し、敵対勢力(敵対国)に心理的打撃と企業活動の停滞などの経済的打撃を与えることによって、闘争を有利に導き、組織の主張を認めさせたり、理想の社会を実現したりする目的で実行されると言われています。>
続きます。