◯ネット主流での変革
ネットでは、論議ではなく、一般論か、逆張り、関係ないことをこじつけるだけの応酬が常となっています。このレベルでの炎上で、社会の意識や社会そのものが変化していくようにもみえます。としたら、ことのよしあしについては、考えざるをえません。バイラルメディア#が、主流になることには、大いに警戒が必要でしょう。
ネットだけでなく、大手のマスメディアまで、SNSの著名人の声を羅列するだけで記事にしていることが多くなりました。その偏向#も著しいと思われます。
ジャーナリストとして、手抜きも甚だしいでしょう。
足を使わぬ「コタツ記事」#では、自らの存在意味、社会的使命を放棄しているのにほかなりません。ニュースのワイドショー化や癒し映像の割合も度を超しています。
NHKのニュースさえ身近な話題ばかりで、本当に必要なニュースや国際情勢をほとんど伝えません。ニュースが普通の人に、おもしろくないのはあたりまえ、だからこそ必要なのです。なのに、視聴者の好みばかりを優先してきたのです。
新聞を読まない人が多くなった今、ある意味で、世界や時代を俯瞰する材料を与える役割を担うべきものがなくなるのは、困ったことだと思うのです。一定のコモンセンスは、必要です。
#マスメディアの報道の偏向
たとえば、朝日新聞、読売新聞は、ロシアがウクライナに対してクラスター爆弾を使用したことを何度も報じていますが、ウクライナが使用したことは報じず、ロシアによる使用だけを批判してきました。
報道しない嘘について、なんら自覚がないのは、問題でしょう。
#コタツ記事
<記者が現地で直接取材せず、ネットなどのメディアで知り得た情報のみを基に作成される記事。「炬燵記事 独自の調査や取材を行わず、テレビ番組やSNS上の情報などのみで構成される記事」と定義づけられている。」(デジタル大辞泉)
個人的な話の裏取りもせず、そのまま記事にすることも多い。
2010年にデジタルガジェット論評が専門のジャーナリストである本田雅一が編み出した造語。「ブログや海外記事、掲示板、他人が書いた記事などを“総合評論”し、コタツの上だけで完結できる記事の事」と定義している。
バイラルネットメディアが SNSにてバイラル・マーケティングのためにネットユーザーの興味を引いてページビュー(PV)を稼ぐことのみに特化し、クリックさせるためにセンセーショナルなタイトルを付ける(Wikipedia参考)>
#バイラルメディア
<バイラルメディアとは、話題性のあるコンテンツを発信し拡散させることで新たな集客を生むWeb媒体。 バイラルとは、「ウイルス性の」「感染的な」という意味、SNSの拡散力を利用してトラフィックを獲得しようとする>
#コモンセンス <常識: common senseは、社会的に当たり前と思われる行為、その他物事のこと。社会通念ともいう。対義語は非常識。
いったん物事が常識として受け入れられれば、その物事は異議を差し挟まれにくくなる。そのため、常識の内実はしばしば大きな政治的価値を持つ。常識は、メディアを通じて変じることがある。常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。アルベルト・アインシュタインは、「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。」と、常識は真理とは違うと指摘している。(Wikipedia)>