fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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表現の自由と制限 あいちトリエンナーレ コロナ禍注意

< 東京都は7日、直近1週間(8月28日~9月3日)の新型コロナウイルスの定点医療機関当たりの患者報告数を17.01人と発表した。新型コロナの感染症法上の5類移行後、最多を更新した。(東京新聞)>

お気をつけください。⚠️

 

 

◯有本香氏と津田大介氏との「あいちトリエンナーレ」裁判、有本氏の一審勝訴 

<津田氏側が問題にした私(有本香)の発言とは、企画展に出品された作品の作者の発言を引用してのもの。この作者は出品依頼があった際、津田氏側から、自分の作品を「隠して出す」と言われたと発言。「慰安婦像」も隠して出す旨が語られたと証言していた。「隠して出す」とは、問題になりそうな作品だから、当初からリストには記載せず、ギリギリになってオープンにすることだ。これは公共事業の進め方として問題ではないか、というのが私の批判の趣旨だった。(有本氏の番組)>

これは、ほんの部分的なものにすぎませんが、

愛知トリエンナーレ、「表現の不自由展」、ひともめ、ありましたね。

安倍政権も日韓の対立も、ひと昔前となりました。

 

◯表現と法律

前に、ハラスメントで、法律というのを持ち出したのは、倫理やモラルではグレーゾーンが広いので、刑法を元に、判例で判断することが、唯一の落としどころとなると思われたからです。

 

ただし、法律は絶対ではありませんから、表現については、アーティストとしては、自分のスタンスの問題となります。

罪というのも、国家反逆罪であっても、必ずしも、悪いということではない、そういうケースがあるのは、歴史が証明しています。

法は、変わるし、変えていく必要があるものだからです。

 

ある時代のある人たちにとって、よい法律が、他の人にとって、ひどい悪法であることは、歴史をみるまでもなく明らかです。

自己表現、自己主張と、その許容される範囲というのは、よく問題となります。

 

そこに公的な機関が関わり、税金が使われるときには、複雑です。

アートは、自ずと社会と結びつき、政治的な活動になるところがあります。

行政と真のアートが、果たして、相入れられるものなのか。

ここは、私自身の大きな問題意識に関わることなので、取りあげました。

 

一方で、見たくない、聞きたくない、接したくないという人の権利も尊重されるべきだからです。それも含めて、皆が学び、理解して、よい方に変わっていくのなら、よいのですが。

何においても、変わるということ自体、受け入れにくい人もたくさんいて、

それを否定するのも、行き過ぎの場合が多いからです。

 

 

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