◯『どうする家康』第28回「本能寺の変」7/23
「どうする家康」、のりかかって、連続して述べてきました。
で、本能寺、信長は、わざと手勢を控えめにして、家康に討ち取られようとし、
家康も信長をその後継者として討つ直前までいきます。
それが明智光秀に為されてしまうという悲喜劇のようなクライマックスでした。
信長が燃える本能寺で、「家康…家康!」
家康が岡崎へ帰還すべく伊賀に向かう道中で、「信長…信長!」
と何度も、それぞれの名前を連呼。
「すれ違いBL#」「愛がスゴすぎ」「壮大な惚気」「悲劇のラブストーリー」、、
若い人には、そうなるのでしょうか。
お市は、兄信長の唯一の友が、家康であり、その生き方を羨ましがっていたと、家康に告げます。そこで、家康は信長を討つのを決意できませんでした。
どうする家康、またもウサギたるゆえんです。
でも、その狼を超え、ウサギがのし上がっていく、途中、サルを挟みますが、、、
考えると、この日本三大武将のキャラ設定と配役、
この信長は、昭和までの家父長制、パワハラ全盛の父性社会の男性性を象徴。
団塊世代より上の人には、このクライマックス、
日本の社会の移り変わりそのものでしょうね。
この家康に、忸怩たる思いを抱いているのでは。
いいとこ、こんな情けない奴は嫌いだ、でも、認めないと、このご時世、、。
なんて、感じの人もいるでしょう。
◯父性から母性へ
信長は、過度に父性を強調されて描かれ、演じられています。
それに対して、この家康は、母性です。
秀吉もそれに近いものの、家康より器用で小賢しいです。
現実として、戦後の日本は、秀吉であり、家康と変じました。
で、ここまでバランスを崩しすぎると、とんでもなく弱く、貧しい国になっていくように思います。なぜなら、今は、平時ではなく乱世だからです。
相変わらず、いや、再び、力が支配する社会になりつつあるからです。
つまり、江戸、大正、平成といった時代とは、ほど遠くなってきているのです。
#BL
<ボーイズラブ。専門用語としては、二次創作を「やおい」、オリジナル商業作品を「ボーイスラブ」と区別するような傾向がある。アメリカでは、まとめてBL・Yaoiと呼んでいる。>